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組織論の原点 [経営学〔組織と戦略〕]

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Mark Whitfield (g). Forever Love.1997. Polyfram Records

2013年12月31日(大晦日)
雑々として、今日で今年も終わる。ゲーテは「日々の仕事」に戻ることの大切さを言ったし、トーマス・マンも「黄金の午前」と呼ばれるような日々を過ごした。いくら僕のような凡人でも、「日々の仕事」が大切なことは変わらない。でも現実にはこうして雑務に日々は過ぎ、1年が暮れていく。凡人たる所以だ。

1年間の締めくくりにMark Whitfieldの「Forever Love」を聴く。スタンダードナンバーだが、ジョージ・ベンソンに見いだされ、ウエス・モンゴメリーの影響を受けた彼の音楽はオリジナルで、静かに心を満たす。

 

永遠の愛は、完全競争の市場のように非現実的だ。しかしそこからしか人生や理論は始められない、かけがえのない原点でもある。

もしも、愛はしょせん非合理 な感情で一時的な本能でしかないと皆が思うのなら、あるいは市場はバイアスのかかった、歪められた財の交換場でしかありえないと誰もが思うのであれば、社会は動物的なものになりさがるだろう。個人の自由や契約の自由、民主主義は言葉としても滑稽な遊びになってしまう。

だからスタートポイントとしてのフィクションが必要なのだ。そのフィクションと比較して、現在の状況を検索的に測定し、何を是正すべきなのかを僕たちは知ることができる。

市場(たとえば証券市場)では、参加者の誰もが自己の利益を極大化しようと、もっとも合理的に行為する。合成の誤謬というのは結果論だ。個人は合理的に判断し、行為している。そこでは純粋な利己心と利己心が生身で競いあう。自己の利益の極大化、それ以外の目的で証券市場にエントリーする者は躊躇なく他者の利己心にカモにされる。

市場はまた、純粋に、価格的に、最適化された財の交換場所でもある。労働者X氏や、電子部品Yを評価するのに価格というシンプルな手段しか用いない。このシンプルさが市場の特権であり、最大の強みでもある。

ただし市場の時価評価はつねに短期的なものでしかなく、5年後はおろか5分後でさえその価格が維持されているとは、誰も確約できない。かつてあれほど評価された人材や製品はいまどこに? という事例は事欠かない。その反対に、市場が真価を見抜けぬまま埋もれていった事例も数えきれないだろう。

株式市場の例は極端だが「市場」メカニズムを端的に示している。
かつてインターネット・バブルのとき、光通信という銘柄は、1999年の年間上昇率なんと2,849%、2000年初めには24万1,000円に達した。その後、理由もないまま騰がった銘柄だけに、理由もなく急落。20日連続のストップ安(売り手が多すぎて買い手がつかないため、制限価格いっぱいまで下落する)を続け、95.1%下落して価格がついた。結局、この銘柄は1,000円を切った。
市場価格、時価とはこのように何らかのバイアスに左右されやすい、もろいものであることを株式市場の歴史は教えてくれている。誤った評価や取引を避けるためには、市場参加者は多くの取引コストを払わなければならない。しかもどれだけ取引コストを要したとしても、参加者が利己心に動かされることをよしとする以上、市場取引には限界がある。

組織は、そういう市場の対極にある。市場の限界を補いながら、市場とは対極的なメカニズムで動くのが組織というものだ。3つの例をあげよう。

  1. 組織はスポット価格でなく、一定の時間を見込んで逆算した価格を評価原則とする。(現時点ではまったく役に立たないが、数年後、現場の経験を積めば優秀な人材、部品、アイデアになるかもしれないという評価方法)
  2. 組織は、規則=権限で動く。(市場の取引相手になら隠しておく情報も、上司に命令されたら開示する)だから組織の内部では「レモン問題」(外見だけよいが中身はだめな製品)が相対的になくなる。ある種の市場取引コストが削減される。
  3. 組織は、人間的なファクターで動く。 (判断に感情や利害がバイアスとして入る)このM&A案件は、おおいに会社の利益になると分かっているが、準備で大忙しなのは自分が事業部長の期間で、その成果が出るのは次の事業部長の時代になるから、案件をボツにしようなどのファクター。別の性質の内部コストがかかる。

組織は「人と人」のネットワークで構成される。トップが自分の後継者を選ぶとき、自分にとってもっとも有利なように選択するバイアスがかかるのも、このネットワークゆえだ。

自分の子供に会社を継承させようとする場合、血縁ネットワークが働き、血縁以外の有能な人材をスポイルするというバイアスが働く。例外的に、ホンダの創業者、本田宗一郎は、自分の息子たちをホンダに入社させなかった。

血縁でなければ、学縁(同じ大学のネットワーク、赤門会、稲門会、三田会など)もよくみられる。みずほのように、統合前の出身銀行が閥をつくって内部抗争している組織もある。

どの組織にでもみられるのは、単純な人間関係(馬が合うとか好き嫌いのレベル)でネットワークが形成される。いずれのネットワークであれ、トップはバイアスなしには後継者を選択できない。

組織は、市場と違って、権限と人間的ファクターで動く。そのトップがバイアスをかけて後継者を選ぶ、事業部長レベルでも同じような人事がなされる。これが何世代も続くと、組織はどうなるだろうか。すばらしい俊敏な会社にはとうていほど遠い、前例主義の、つまらない組織に堕していく。だから会社の寿命は30年という。

シュンペーターというオーストリア出身の経済学者がいた。彼の理論を初期と後期に分ける解釈( Richard N. Langlois)が、つまりは組織を動かす企業家=経営者にどれだけ期待するかという話だ。

たしかにジョブズのような例はあるが、少なくとも現在の、日本の大企業を対象とする限りでは、僕は経営者のイノベーション能力に多大な期待は禁物だと思えてならない。要するに組織もまた限界に直面しているのが現状なのだ。

永遠の愛、完全競争市場はモデルとしては存在しても、現実にはない。効率的な組織、イノベーティブな組織も同じように、モデルとしては存在するが、現実にはほど遠い。けれどもその概念を諦めたらすべてが終わる。それが組織論の原点だ。

そういう理論から、来年も現実をウオッチしていきたい。

皆様、来年も日々の仕事にがんばって、よいお年をお迎えください。


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