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雨を見たかい Have You Ever Seen the Rain? CCR [ジャズ日記]

Creedence Clearwater Revival - Pendulum.jpg


Pendulum by Creedence Clearwater Revival

( Fantasy Records, Dec. 1970 )



このところ60年代末から70年代初めのアメリカのアルバムを聴きなおしている。

大量生産システムがつくりあげた現代アメリカを,同じ大量生産システムが揺るがした文化的証拠のように思えるからだ。


20世紀に入ると,ヨーロッパ「世紀末文化」が予言した通り,ヨーロッパ文明の黄昏は現実のものとなった。大西洋の向こう側,まだ若かったアメリカ合衆国,この貴族制を知らない大衆の民主主義国家に急速に覇権は移った。ヨーロッパの貴族たちが懸念したように,アメリカの社会は未熟だったが,その欠点を補ってあまりある勢いがあった。


自動車を発明したのはドイツの貴族だった,自動車は若い貴族の遊び道具だった。アメリカでは大衆の移動手段となった。アメリカで生活の道具として再定義された自動車は,増え続ける人口と購買力を満たすための大量生産システムが発明されると,一気に価格を下げ,ますます大量に販売されるようになった。洋服,食品,住宅,家電などすべてがアメリカでは大量生産によってその旺盛な需要を満たした。


アメリカの大量生産システムのピークがいつだったのかは,文献によってあまりずれはない。1955年から1960年のあいだにそのピークは訪れた。そしてその後,大量生産システムは逆機能に陥っていく。その1つの結果がベトナム戦争(軍需による大量消費)だった。


アメリカは大衆社会である。その凋落の文化的表現も大衆的なフォークソングやロックミュージックになる。ボブ・ディラン,ジョーン・バエズは言うにおよばず,サイモンとガーファンクルには第二の国歌と呼ばれる「アメリカン・チューン」がある。


CCRはアルバム「ペンデュラム」で「雨を見たかい」Have you ever seen the rain?を発表。「雨」とは北爆でのナパーム弾を意味していた。彼らの歌は放送禁止となり,作者John Fogertyはその解釈を否定する。しかしアメリカの若者たちが「雨」の意味を知っていたのは,彼らが戦場で「雨」を見たことがあったからだ。(上のYou tubeは写りの良くない静止画なのだが,この11年間で1億回以上閲覧されている)


「くるくるとまわって雨が降ってくる」とか「晴れたに日雨が降る」というのはそういう意味だった。その直前のアルバム「コスモズ・ファクトリー」(Jan. 1970)に収められた「Who'ill stop the rain?」も同様の趣旨で「雨」という比喩を使っている。


「雨」を止めるのは誰なのか。いったん完成した生産システムが効率性をもとめて回り続けるとき,それを止めるのは個人ではない。村上春樹が「卵と壁」の比喩を言ったように,卵は壁に対して無力なものだ。


インターネットという新しいシステムが,おそらく古い壁を壊すのだろうと言われている。願わくば,その新しいシステムのどこかに「良心」の入る余地が残されているように。プラットフォーマーの経済的利益だけで回転し続けてしまうことのないように。

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株主重視と社員重視 [経営学〔組織と戦略〕]

日本の会社は株主のものか


 


神戸大学の三品教授が、今週号の『週刊東洋経済』(2018825日号)に興味深いことを書いていた。その趣旨を自分の考えも交えて紹介する。


会社は株主のものだという意味は、売上から費用を差し引いた残余利益が株主に帰属するということである。会社が好調な時は、株主の利益は増え、逆のときは減る。いずれにせよ「費用」を不当に操作したり、ごまかしてはならない、たとえ企業が儲からないときでも費用は正確に粛々と差し引かれるべきものだ。そのうえで、株主がリスクを取るからこそ、株主重視が正当化される。


日本でも株主重視が叫ばれているが、実態はリスクを従業員に取らせている。会社の業績悪化時に、従業員が給与やボーナスをカットする制度が残っているのがその証拠だ。従業員の給与は「費用」の一部なのであり、企業業績とは無関係に粛々と差し引かれるべきものだ。不況時のリスクを負うのは「会社の所有者」たる株主だからだ。


また、日本ではボーナスは住宅ローンに組み込まれていて、実態は欧米的なインセンティブではなくただの賃金にすぎない。


従業員がリスクを分担するという思想は、1980年代までの旧来の経営家族主義の残滓である。そこには、会社は従業員のためにある、だから業績が悪くなったら従業員もリスクを取るべきだ、という暗黙の契約があった。現代もなお日本では、株主重視と口では言いながらも実態はそれと旧態依然の従業員軽視である。


 


日本も従業員の現在価値が明示されるように労働市場が流動化されるといいだろう、優秀な社員は次々に他社から高給でヘッドハンティングされていくような流動化である。「退職の自由」こそ優秀な社員が持つ最大の権利だ。それを引きとどめようとする会社側の姿勢が従業員の市場価値を適正化する。株主重視を社員軽視とすり替えてはならない、これがだいたい三品教授の趣旨だ。


 


私はこの趣旨に賛成だ。今、日本の経営は端境期にある。企業は都合のいい時に「株主重視」と「従業員重視」の論理を使い分けていて、利益は株主に分配して(自社株買いの急増)、リスクは従業員に負わせる仕組みは論理破綻している。


長時間労働も実質的に従業員側にリスクを負わせている。不景気の時に採用を絞ったつけを従業員に押しつけているからだ。


日本社会ではエリート層ほど長時間労働の傾向がある、これも焦眉の課題だ。キャリア官僚の、世界に例を見ない異常な長時間労働、医者もまた過酷な労働実態がある。女性が辞めなければならないような非人間的な労働実態は、問題は女医ではなく労働制度を改革しようとしなかった医療機関と厚労省と政治の側にこそある。これらはすぐにでも着手しなければ世界に笑われる「働き方改革」の焦眉の対象である。


結局、日本の組織もまた、長期的にはグローバルスタンダードに向かって進む。IT、クラウド、インターネット、といった技術に裏打ちされたグローバリゼーションは、もはや止めることはできない。


組織が変わる時は、最初は外面的なもの、技術、会計システムなどから入る。接ぎ木の状態は長くは続かない。最後は文化が変わる。組織が持っている共通価値観がそっくり変わってしまうのだ。まさか、と人が思っている間に、気がつけば新しいマインドセットが会社を支配しているだろう。


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企業文化・マインドセットの組織論 [経営学〔組織と戦略〕]

企業文化・マインドセットの組織論


2018年8月19日


近年、経営戦略論とりわけ資源ベースの組織戦略論でメインストリートとなっているのは「マインドセット」や「企業文化」のマネジメントだ。

グーグルの人事担当上級副社長、ラズロ・ボックは「文化は戦略を食う」と言っている。マイクロソフトのCEO、サティア・ナデラも明確に述べている:

「私はCEOのCは[culture]のCだと考えたい。CEOは、企業文化の管理人だ」(ナデラ『ヒット・リフレッシュ』日経BP社、2017年)


なぜ、近年の組織戦略論では企業文化に焦点が当たるのだろうか?

ヒントはナデラ自身が書いている。ナデラは「文化」という言葉は漠然としているが、彼がマイクロソフトのCEOとしてその言葉を理解するのは次のような文脈においてだという。

「私は文化を、個人のマインドセット、私の目の前にいる人々のマインドセットで構成される複合的なシステムだと考える。文化とは、ある組織の考え方や行動の仕方だが、それを形成するのは個人である。」(前掲書: 132)


こう述べた後、ナデラは「マインドセット」(キャロル・ドゥエックの用語)には「固定マインドセット」と「成長マインドセット」があり、前者は自分の制限してしまうが、後者は自分の能力を育て、前進させると述べている。

最近の先端企業では、経営者は組織の従業員に成長マインドセットを望んでいるのだ。しかも強烈に。


こうしてみるとやはり疑問がわく。

米国企業は、1960年代をピークとする終身雇用型の安定した「オーガニゼーション・マン」(組織人)の時代から、石油ショックを契機とした企業のM&Aとリストラ、リエンジニアリング、ブルーカラーだけだったはずのレイオフがホワイトカラーを襲う時代の1980年代へ転落したあと、1990年代末から2000年代にかけてのIT時代、シリコンバレーの時代でみごとに復活していった。

この間、雇用者は安定したサラリー制度から成果主義・業績給に転換され、近年でも結果を第一に考えるシステムはますます確立してきた。

それなのになぜ経営者たちは、「企業文化」や「成長マインドセット」などといって時代錯誤なモットーを訴えるようになったのか。なぜ従業員たちの業績だけを評価しないのか。組織のなかに「共通の価値観」があろうがなかろうが、マイクロソフトやグーグル(アルファベット)の業績に何の関係があるというのだろうか。


この疑問については次の機会に考えよう。




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トルコショックなのか [グローバル経済]

トルコショックなのか


2018年8月18日

「リーマンショック」とか「ユーロ危機」あるいは「チャイナショック」はたしかに「ショック」だった。世界経済に波及する「危機」でもあった。でもこのところの「トルコショック」とか「トルコリラショック」という意味は理解できずにいる。

トルコの地政学的な重要性は理解できる。今回のショックのきっかけが米国との政治的緊張関係と米国の中間選挙にあるのも新聞報道の通りだろう。しかしトルコリラが40%急落したことが世界経済に波及するようなものなのか、理解できない。

トルコ経済とはどんなものか。IMF統計(2017年、1ドル110円換算)でみると、

・名目GDP:93.4兆円
・総人口:8,081万人

この7月の時価総額と比べると、

・アップル:102兆円

だから、これはむしろアップルが民間企業としては「帝国化」したと言ったほうがいいが、トルコは

・アルファベット(84兆3千億円)
・マイクロソフト(82兆5千億円)

とも比較可能な経済規模だ。

・トヨタ(22兆円)

はさすがに届かないが、トルコの経済規模は世界に経済危機を与えるほどのものではない。そんな「ショック」があるのなら、iPhone Xの売れ行きを心配したほうがよいだろう。

いつもながらちょっとしたきっかけを待っていて、そのシナリオでボラティリティを作り出して先物主導で儲ける業者が跋扈しているようだ。

資本主義がAIによって高度に技術化し、金融化したことは仕方がないが、ミスターマーケットには本来の役目がある。それから大きく逸脱して、小さな事を「ショック」に変えて、それを利用する業者たち。そしてその流れを偽りだと知りながら、それに乗っかろうとする後続の業者たち。バンドワゴンの最後にいるのは、いつも市民であり無防備な個人である。

行動経済学が必要な理由を、こういうことがあると痛感する。人類の未来を担う若い世代がこういう「ショック」で大きすぎる挫折をしないことを願うばかりだ。

短期間ですべてを失うことは大きな挫折だし、かといって投資はギャンブルだ、という表面的な理解に陥ってグローバル経済から実践的な関心を失うこと。これも若い知性にとって大きすぎる挫折のひとつだ。



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日本だけコカコーラとアルコール [経営学〔組織と戦略〕]

IMG_1869-b.jpg(写真:ローマ、詩的な路地、2017夏撮影)


日本だけコカコーラからアルコール飲料が発売されるという。海外ではFTなどが結構しっかり報道している。日本でも少し遅れて報道されているから、ニュースバリューがあると感じるのは僕だけではないのだろう。


《コカコーラはアルコール飲料に参入すべきか否か?》


これはディベートの論題として興味深い。コーラ飲料からお茶への多角化とは質的に異なるからだ。そもそもコカ・コーラ社の歴史にセンシティブにならざるをえない。



アメリカでは、コーラがお酒会社と異なるのは、もともと万能薬として薬局で開発され、販売された「栄光の出自」がある。教育機関とも太いパイプがあって自販機が置かれている。(日本なら話はちがうじゃないか? まあ、その通りかも知れないが、日本で試してうまくいったら次はどの市場に?)


米コカ・コーラの業績は昨年12月期をみると354億ドル、前期比15%減。「砂糖水」とスティーブ・ジョブズが呼んだ清涼飲料事業は、健康志向の潮流がますます高まっていて世界中で厳しさを増している。


日本コカ・コーラのガルドゥーニョ社長は、日経新聞(2018年3月9日夕刊)によれば、チューハイのカテゴリーを試すそうだ。缶酎ハイは2017年、市場規模にして前年比9%増のマーケットである。それにしても競合は強い。コカ・コーラは1980年代に撤退したワイン事業の二の舞にならないだろうか。


アサヒ飲料やサントリー食品インターナショナルなどの強い競合にとって、この横綱プレーヤーの多角化戦略は、単純に脅威なのだろうか、それともむしろ千載一遇のチャンスなのだろうか。


《ホンダはアメリカ市場に参入すべきか否か?》

こちらはアメリカの著名な経営学者が、1980年代に、MBAで出した(と言われている)試験問題。「正解」はNOで論述しなければならなかったらしいが、オチがあって、教授の奥様の愛車はホンダだった。その後、ホンダはアメリカ市場を席巻していった。
コカ・コーラの正解は?
《写真解説》
イタリアに長期滞在してボーッとしているのが好きだ。小さい町の方がいいのだが、たとえローマやミラノのような大都市でも、観光ガイドに掲載されていない普通の市民が行くような街が好きだ。
そこを歩いていると、すばらしい路地に出会える。それは生活の空間だ。その路地は住民の生活につながっていて、安くておいしいトラットリアやバールにもつながっている。小学生が学校から帰る道だったり、小さな噴水があればそのまわりでお年寄りが話をしていたり、アパートのアーケードの日陰でローマの強烈な夏の日差しをさけている。
僕たちは今日の生活を明日の手段にする。今していることは、何か目的のための有効な準備でなければ気がすまない質だ。ローマではちがう、彼らは生活そのものを楽しんでいる。明日ではなく今日が人生の目的なのだ。


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ビットコイン狂騒曲 [マネー]

ビットコイン狂騒曲


2018年1月28日(日)

40年ぶりとかの寒い日が続いている。先週、大雪の降った日の帰り道、雪で冷え切った風に寒さで身体がふるえた。


ビットコイン(仮想通貨)騒動はもっと寒い。最初に中国で買われて、規制されると、今度は日本で買われた。今、所有者の4割が日本人との報道もある。


100メートル競走のスタートで合図を待つアスリートたちのように、急騰した投資対象は耳を澄まして何かの合図を待っている。ピストルの代わりは、当局の規制、取引所の不正や閉鎖、何でもいい。合図が鳴るとランナーたちはいっせいに「売り」スタートとなる。これが急落だ。曲線的に上がる急騰とは対照的に、急落は直線的に落ちていく。


僕自身はこういう短距離競走には興味も能力もない、若い友人たちにはこの手の投資はやめるようアドバイスしてきた。


この狂躁曲をバンドワゴン効果という理論からその構成をみてみよう。


第1楽章 allegro

バンド(楽隊)が楽しそうな音楽に乗って市中をパレード、バブルのスタートだ。そそっかしい人はバンドワゴンのすぐ後ろにくっついて歩く。面倒くさがりやは冷ややかにそれを眺めている。でもなんだか楽しそうだ、先にいい未来が待っている予感がする、そんなソナタ形式の主題が展開をまじえて聞こえてくる。


第2楽章 andante

ブームが少し静かになる。人々も少し落ち着きを取り戻し、まさに歩く速度(andante)でバンドを追うようになる。しかし熱狂が冷めたわけではない。最初のトップが終わり、次のブームに向けて力を溜めている時期(需給調整)。そそっかしい人はこの段階でブームが去ったと勘違いして、投資したものを売ってしまう。その一方で、かつて冷ややかだった人たち(こっちのほうがずっと多数派)は、価格が下がったので買い始め、バンドワゴンに加わって歩き始める。投資家の期待は静かに高まっていく。


第3章 adagio

少しづつ価格が戻ってくる。前に売ってしまった人たちが再エントリーする。ただし今度は前よりも一回りも二回りも大きい額を。なぜならばポケットにはまだ前に儲かった資金があるからだ。そして今度は確信的に大きな額をレバレッジをかけてつっこんでしまう。みんな気が大きくなっている。バンドも、マスコミも、評論家も勇気を出すような音楽ばかりになる。『私はこうして仮想通貨で10億円稼いだ』などという「サラリーマン」本が出るころだ。「億り人」が税金で青くなる前の時期は長くないのだが。


第4章 allegro con spirito

そしていよいよ最後の楽章。急テンポな展開。普段なら投資なんか興味もないという普通の人たちまでバンドのあとをついて歩いている。町中が浮かれていて、バンドもスピードを上げ始めた。バスに乗り遅れちゃいけない、とド素人が焦って身銭をバンドに投げ入れる。価格は前のトップに近くなり、チャートのダブルトップの完成だ。

〔転調〕ダブルトップで跳ね返された瞬間、何の予兆もなく、ただひたすら、直線的に急落を始める。バンドは町外れに到着。さようならと挨拶もせず、いつの間にか見えなくなっている。あれ僕のお金、全貯金をバンドに投げ入れたばっかりなのに、などと言ってももう手遅れだ。

「投資は自己責任で」などと言われてしまう。新聞も、テレビも、評論家も昨日までの笑顔は嘘のようだ。目つきが変わっている。「一日で30パーセントも下落。この二日間で60パーセントの急落です。金融庁も関心を持っている」などとニュースで言われても、自分の金は返ってこない。この曲の最後はかならずマイナーで終わるのが定石だ。


以上がバブルというシンフォニーの構成。

ちなみに、このバンドワゴン効果でいちばん損をするのはいちばん最後に投資した人だ。楽団の最後にくっついて歩いたド素人がカモになる仕組み。今回は日本の投資家だったようだ。


得をしたのは最初に投資した人だ。ただしそそっかしい人たちは、多くのバンドにくっついて歩いてきたから、たまたまこのバンドで儲けたとしても、トータルでは損を出している場合が多い。ましてダブルトップの前、第2楽章でさっさと売ってしまう人たちだから、長期的に投資でプラスになる確率は低い。これが中国の投資家だったろう。


仮想通貨投資でも(自己資金のいらない)アパート経営でも、バンドワゴンに乗ろうという人には、投資を始める前に古典的な教科書を読むべきだ。実際、僕もこの2冊から冷静な判断に戻ることができた経験がある。


・バートン・マルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー』日経新聞出版社。

・チャールズ・エリス『敗者のゲーム』日経新聞出版社。


投資の成績は「勉強量」と「精神力」に比例する。そそっかしい人は、あわてるから失敗する。怠惰な人は日々の取引記録もつけず、四半期と年間の投資成績も管理しないから失敗する。自律心がない人は、他人に流されて売買するだけだから失敗する。そしてこれが僕だが、恐怖に弱い人は恐怖に耐えきれずに失敗する。



精神的に本当に強くなること、自律することが今の僕の課題。本当に強い人は客観的で、感情的にならない、また自分の弱点を知っているから他人に優しい。他人の欠点に怒りを感じるのは自分が未熟だからだ。投資は全部、自己責任。僕にとって、投資とは自分の弱さを見つめ直す自己修行だと考えている。



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安定志向の人生と社会:日本 [経営学〔組織と戦略〕]

安定志向の人生と社会


2017年12月27日

「日本企業の稼ぐ力が低いのが問題だ、経営者はもっとリスクをとれ」と先日、テレビのコメンテーターが言っていた。今日、年末の買い物に出かけたときにふと思い出した。


たしかにROA(=EBITDA / 総資産)の時系列ボラティリティ(標準偏差)は日本企業は驚異的に低い。数年前のデータでは、オーストラリアが12.1、カナダが9.4、アメリカが8.8、韓国とドイツが5.1と5.7だったのに対して、日本はたったの2.2しかなかった。

だがこれは上下のブレが異常に低いという意味で、リターンだけでなくリスクも低いことを意味している。


この数字だけをみると、日本企業は安定志向の経営と見えるだろうが、実は資源国はその価格が大きく変動するためボラが大きいことになる(オーストラリア、カナダ)。リスクが高い環境にいる企業のリターン(とリスク)がそれだけ大きく変動するのは、当然なのだ。価格が半減したりする原油価格を見てほしい。

 

ちなみにリターンをリスクで除して調整すると、オーストラリアとカナダはそれぞれ1.1と1.4になり日本は2.7になって成績は逆転する。


買い物の間にコーヒーを飲んだ喫茶店で、ポケットから『戦略的コーポレートファイナンス』(中野誠、日経文庫、2016年)を取り出してパラパラとページをめくると、上のようなことが書いてあった。


つまり、「もっと利益率をあげろ=稼げ」というが、リターン水準の裏側にはリスク水準がある。やたらリスクを取ったり、財務レバレッジをかけたりするのは日本企業がほんとうにするべき「グローバル・スタンダード」なのか、疑問なのだ。ましてやリスクのボラティリティが高い国の経営にフィットしている人材マネジメント手法を、接ぎ木のように導入してコストカットする経営者は、長期的にはコア・コンピタンスの競争力を失っていると知るべきだろう。


食品産業と半導体産業のリスク分散がちがうように、資源国と日本では経営手法が異なる、そうでなければならない。アメリカや韓国と我が国のリスク環境も異なる。人材とものづくり技術に長期的に向き合い、投資して、そこから差別化された製品を生み出すことが安定志向の日本にフィットした経営だった。これからはこの基本姿勢にオープン・マインドを加味すれば足りる。


今でも教室で質問すると、ほとんどの学生が終身雇用と安定性に手を上げる。これは将来も変わらないだろう。ある人が「正社員」の再活性化を説いているが、正解だと思う。今までのような、男性正社員、ゼネラリストの管理職志向のキャリアデザインはもう通用しないが、多様性のある男性女性の正社員(スペシャリスト育成コースを含む)による終身雇用型の安定したキャリア開発が望ましい。

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トランプ、Trump、Tramp [ジャズ日記]

2017年1月7日(土)

トランプ, Trump, Tramp 

謹賀新年。

1月4日の日経平均はいきなり高値で明けたけれども、どうだろうか。

たしかに昨日の米雇用統計(非農業部門の雇用者数、前月比15.6万人増)はまあまあだったし、賃金の伸びは0.4%上昇でアメリカ景気は拡大中で、昨日は夜安心したけれども、どうだろうか。

なにしろ相手が気まぐれなトランプではないか。トヨタに対してお門違いな「NO WAY!」とツイートする次期大統領が今まで存在しただろうか。日本の自動車産業が、アメリカ国内でどれくらい雇用を生み出し、社会にどれくらい貢献しているか、それすら調べずに「ありえない」はあり得ない。

シナトラなら「All The Way」だが、トランプにはいつまでもというわけには行かない。とりあえずシナトラの「The Lady is Tramp」を聴いて気分転換しよう。

https://www.youtube.com/watch?v=_VJY97l0jVA

トランプ政権は、一か八かの大胆な景気浮揚策を期待されていて、株価の上昇を招いている。「make America great again」は多くの有権者の心に響いた。しかし問題は、この理論を実行に移すとき、「America」の定義をしなければならないということだ。

トランプの叫んだ「America」に投票した人々は、みんな「それは自分のこと」だと認識した。白人も黒人もヒスパニックもアジア系も、男性も女性も、保守派の高給エリートも、そして初めて民主党以外に投票した大衆ブルーカラー層も、みんな「America=me」という認識で、投票したはずだ。

実際にはそんなわけがないことは、トランプの新政権の人材が証明しつつある。ウォールストリートとメインストリートの深い亀裂、1対99の分断を埋めることは、新政権チームの顔ぶれからは想像しにくい。

タイム誌はトランプをカバーにした号でこう表紙に書いている。「TIME: Person of the Year. Donald Trump, President of the Divided States of America」(December 19, 2016) .(ただし太字は引用者による)その通りではないか。

僕が危惧するのは、トランプによる分断がアメリカ国内だけでなく、米国対メキシコ(例の壁問題)、米国対中国(貿易赤字問題、為替、台湾、南シナ海)、米国対??とツイートによって一瞬でグローバルに拡大することだ。

世界の平和こそ経済の基本。とくにリスクに敏感な投資マネーは政治の安定と平和を条件とする。

マネーにとって、今年はトランプの年になりそうだ。


東芝ショックとトラスト・コスト [経営学〔組織と戦略〕]

2016年12月29日

東芝ショックとトラスト・コスト

「トランプラリー」の興奮のあと、「東芝ショック」 が日本マーケットを襲った。Financial Timesなど海外にもトップ記事に並ぶ扱いでニュースが伝わっている。この会社が、このタイミングでマーケットに与えたダメージは予想外に大きく、長引くとみている。キーワードは信頼コスト(trust cost)だ。

James Montierが行動ファイナンスの本に書いていたが、投資家は情報の非対称性に直面して、しばしば極端な行動をする。その一つが「確証バイアス」confirmation biasと呼ばれるものだ。今回、東芝は投資家に不信の確証バイアスの根拠を与えた。

エージェンシー・コスト論から言えば、投資家は経営者ではないから、会社の本当の財務事情を知り得ない立場にある。株主は組織外部者であり、情報の非対称性リスクにさらされている。

歴代の経営者によるまちがった事業戦略、失敗を隠すための強引な数字作り、虚偽会計報告は、そのリスクを現実のものにしてしまった。2015年、それが明らかになった時点で、投資マネーは東芝からともかく去った。

投資家がどうリアクションしたかは、
2015年3月27日高値535.0円→2016年2月12日安値155.0円
の急落だ。FTではこういうときは"plunge"という単語が使われる。まさに海に飛びこむような落下ではないか。

この1年弱の間、経営陣は訴えられ、社員は生まれ変わろうと懸命に努力した(と投資家は考えていた)。そして東芝の株価はゆっくりと持ち直していった。それは半導体と原子力への「選択と集中」、不採算部門からの撤退と思い切ったリストラによって、業績予想も上方修正したからだ。

その結果、投資家の行動は、
2016年2月12日安値155.0円→12月15日高値475.2円
までリアクションした。

しかしこの反発の間、投資家の内心はどうだったのか。彼らは東芝を買い増ししながらも、心のどこかで疑心暗鬼は持っていたと思う。企業がいったん失った信頼を取り戻すことは、それほど難しいのである。情報化時代のトラスト・コストは大きい。

そして12月26日、予定していた社長会見が突然延期される。

何事かと投資家や社会の疑心暗鬼はつのり、翌日12月27日、不透明感満載の米原発事業の減損についてのプレス発表である。

当然のことながら、翌28日はストップ安。それは1日では終わらず、ストップ安はザラバ中に三日間続いていた。29日終値、258.7円まで売り込まれた。

もちろん株価は逆張り好きな日本の個人投資家によって、いったんは買い戻しが入るだろう。しかしダメージは深く、あわてんぼうの個人投資家を裏切る結果になりそうだ。

今回のニュースの出方も不快だった。情報は、例によって「1000億円の特損」から始まって「数千億円」から「金融機関に支援」まで、底なし沼のように次々と悪い材料が出された。これも透明性の観点からみて非常に問題だ。

そして最大の問題は、投資家が、「やっぱり東芝は変わってないじゃないか」という証拠として、今回の減損を理解したことにある。これは投資家にとって絶好の「確証バイアス」となってしまった。信頼は二度目の喪失をした。

行動ファイナンスにおける確証バイアスとは簡単に言えば、「ほらみたことか」という感情である。企業は信頼(トラスト)という絆で社会と結び付いている。そしてその絆は細くてもろい。IRやCSRに熱心な企業は、そのもろさを知っているのである。

新聞各紙を時系列でひろってみると、

  • 「東芝、特損1000億円規模、米原発の資産価値減」(日経新聞デジタル、2016年12月27日午前2時)
  • 「東芝が売り気配、特損1000億円規模、米原発で減損」(日経デジタル、12月27日午前9時)
  • 「東芝、数千億円規模の損失計上か、米原発会社の買収巡り」(朝日新聞デジタル、12月27日午後12時)
  • 「東芝、最大数千億円規模の損失計上、米原発事業で減損」(日経デジタル、12月27日午後4時)
  • 「東芝、止まらぬ損失、WH買収で”10年の重荷”」(日経デジタル、12月27日午後5時)
  • 「東芝常務、資本増強を検討と説明、財務基盤強化へ」(日経デジタル、12月27日午後6時)
  • 「東芝社長、原子力事業の減損リスク”12月中旬に認識”」(日経デジタル、12月27日午後6時半すぎ)
  • 「東芝、最大数千億円を損失計上の可能性、正式に発表」(朝日デジタル、12月27日20時)
  • 「WHまたも巨額損失、東芝、半導体の片翼飛行続く」(日経デジタル、12月27日午後8時)
  • 「海外子会社に死角、WHの買収に統治効かず」(日経デジタル、12月28日午前1時半)
  • 「東芝、原発事業が足かせ、巨額損失、再建に暗雲」(朝日デジタル、12月28日午後5時)
  • 「S&P、東芝を”シングルBマイナス”に1段階引き下げ、格付け方向で見直し」(日経デジタル、12月28日午後6時)
  • 「東芝が売り気配、格付け会社が相次ぎ格下げ」(日経デジタル、12月29日午前9時過ぎ)
  • 「東芝が続落、大引けは258円70銭、売買高6億株超」(日経デジタル、12月29日午後3時半)

こういう投資家のリアクションに批判的な向きもある。伝統的な日本的経営論の方々だ。

たしかに、かつて日本企業が「信頼」ではなく制度によってマーケットと結びついて時代があった。その中核がメインバンク制度であり、会社が企業グループの枠に守られていた、グローバル化する前の閉ざされた時代の話である。当時は、企業の不祥事は「ごめんなさい」と言えば企業グループが許してくれた。今、SNSとグローバル化の時代に、社会は許さない。

日本の会社が安定株主によって保有されていたのはバブル崩壊前である。1980年代後半、安定保有費率は45%前後だった。それが40%を切るのは、1997年である。2002年には30%も切り、27.2%に落ちる。

「もの言わぬ株主」によって保有されている時代は過去のものだ。先の三菱自動車の例でも明らかだろう。今は、外国人投資家や個人投資家が浮動株主として冷めた目で会社をみている。

スタンダードな教科書『企業分析入門』(K. G. パレプ他、東大出版会)が言っているように、財務報告は社会的に重要な役割を果たしている。東芝にまつわる不気味な闇は、財務報告のベースとなる情報に関するものである。それだけにダメージは東芝一社だけにとどまるものではないと懸念される。「やっぱり日本企業は」という以前のイメージに戻ることが懸念されるのであり、外国人投資家に「確証バイアス」を与えてしまうことが心配である。トラスト・コストを過小評価してはならない。


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英国離脱(Brexit)続き [経営学〔組織と戦略〕]

英国離脱(Brexit)続き

2016年6月25日(土)
昨日の欧州連合(EU)からの英国離脱決定は、さっそく日本企業にもその影響を拡大しつつある。今日未明(1:33)の「日経電子版」によると、英国離脱によって戦略見直しが必要な日本企業は、日立製作所(鉄道車両、原発建設)、日産自動車(サンダーランド工場、年間50万台) 、トヨタ自動車(年間19万台)、ホンダ欧州(年間15万台)、キヤノン(地域売上高、年間1兆円)、ソニー(サリー州など6カ所の拠点、全社売上高の1割弱は英国から)、など。

実際、英国離脱の直前までは、主要企業は「1ドル=110円」を想定していたところが52%だった。レンジの幅は、ファナックやトヨタのように105円からNECやウシオ電のように115円までだった。
対ユーロでも125円想定のNEC、ダイキン、川重から115円のファナック、119円のトヨタなど。
昨日からは「1ドル=100円」、「1ユーロ=110円」を見込むトレンドに一瞬で転換した。主要200社の経常利益は3.6%減少してしまうという試算もある。何よりも「想定外」であることが市場にショックを与える。「ブラックスワン理論」である。

Moody'sは英国ソブリン債(国債)の格付けを「stable」から「negative」に引き下げて、今回の国民投票の決定は英国に「a prolonged period of uncertainty」(長きにおよぶ不確実な時代)を予兆させると書いた(24 Jun 2016, Moody's HP; Financial Times)。EUの規則では、この場合、2年間、契約の見直し期間があるが、ムーディーズは「これから数年間」にわたって、英国はEUと貿易関連の契約の再交渉をしなければならないとある。その間、英国経済は非常に不安定で、自信を失って、消費と投資は低下し、成長は弱まるだろうと予測している。

Financial Times電子版は、世界の株式市場は、金曜日、2兆ドル以上の価値を失った、これは2007年以来最大の下げ幅だと報じた(昨日)。これは「knee-jerk move」(反射行動、過剰反応)であり、金融機関が熟慮して株を売ったという時間はなかった、アルゴによる自動反応だとも報じている。それは当然そうだろうと思う。

EU側ではどんな反応だろうか。ドイツの Die Welt(世界)紙は「ブラック・フライデイ」だと表現し、「neue Zukunftsszenarien 新しい将来のシナリオ」はやや陰鬱で、ユーロは危機に面している、と報じた。

ただ問題はもう少し大きい、構造的なものと僕は考えている。 

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