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株主重視と社員重視 [経営学〔組織と戦略〕]

日本の会社は株主のものか


 


神戸大学の三品教授が、今週号の『週刊東洋経済』(2018825日号)に興味深いことを書いていた。その趣旨を自分の考えも交えて紹介する。


会社は株主のものだという意味は、売上から費用を差し引いた残余利益が株主に帰属するということである。会社が好調な時は、株主の利益は増え、逆のときは減る。いずれにせよ「費用」を不当に操作したり、ごまかしてはならない、たとえ企業が儲からないときでも費用は正確に粛々と差し引かれるべきものだ。そのうえで、株主がリスクを取るからこそ、株主重視が正当化される。


日本でも株主重視が叫ばれているが、実態はリスクを従業員に取らせている。会社の業績悪化時に、従業員が給与やボーナスをカットする制度が残っているのがその証拠だ。従業員の給与は「費用」の一部なのであり、企業業績とは無関係に粛々と差し引かれるべきものだ。不況時のリスクを負うのは「会社の所有者」たる株主だからだ。


また、日本ではボーナスは住宅ローンに組み込まれていて、実態は欧米的なインセンティブではなくただの賃金にすぎない。


 


 


(続き)

従業員がリスクを分担するという思想は、1980年代までの旧来の経営家族主義の残滓である。そこには、会社は従業員のためにある、だから業績が悪くなったら従業員もリスクを取るべきだ、という暗黙の契約があった。現代もなお日本では、株主重視と口では言いながらも実態はそれと旧態依然の従業員軽視である。

 

日本も従業員の現在価値が明示されるように労働市場が流動化されるといいだろう、優秀な社員は次々に他社から高給でヘッドハンティングされていくような流動化である。「退職の自由」こそ優秀な社員が持つ最大の権利だ。それを引きとどめようとする会社側の姿勢が従業員の市場価値を適正化する。株主重視を社員軽視とすり替えてはならない、これがだいたい三品教授の趣旨だ。

 

私はこの趣旨に賛成だ。今、日本の経営は端境期にある。企業は都合のいい時に「株主重視」と「従業員重視」の論理を使い分けていて、利益は株主に分配して(自社株買いの急増)、リスクは従業員に負わせる仕組みは論理破綻している。

長時間労働も実質的に従業員側にリスクを負わせている。不景気の時に採用を絞ったつけを従業員に押しつけているからだ。

日本社会ではエリート層ほど長時間労働の傾向がある、これも焦眉の課題だ。キャリア官僚の、世界に例を見ない異常な長時間労働、医者もまた過酷な労働実態がある。女性が辞めなければならないような非人間的な労働実態は、問題は女医ではなく労働制度を改革しようとしなかった医療機関と厚労省と政治の側にこそある。これらはすぐにでも着手しなければ世界に笑われる「働き方改革」の焦眉の対象である。

結局、日本の組織もまた、長期的にはグローバルスタンダードに向かって進む。IT、クラウド、インターネット、といった技術に裏打ちされたグローバリゼーションは、もはや止めることはできない。

組織が変わる時は、最初は外面的なもの、技術、会計システムなどから入る。接ぎ木の状態は長くは続かない。最後は文化が変わる。組織が持っている共通価値観がそっくり変わってしまうのだ。まさか、と人が思っている間に、気がつけば新しいマインドセットが会社を支配しているだろう。


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