生と死のはざま〔小説・葉子の恋9〕 [葉子の恋〔小説〕]
夏の朝、耕平は葉子が心配そうな顔をして門の外でずっと見送っている夢で目がさめた。
葉子は免許を取ったばかりの夫の運転が心配でたまらないようで、技術者の耕平が大きな外車に乗りたがるのを遠回しに止めたものだった。
しかしそんな心配をよそに、耕平は仕事の帰りに新田のドイツ車を運転して帰ってくることが多かった。あやまる葉子に、新田も苦笑しながら「こちらこそ夜分に」と答えたものだった。
「あいつらしい。入院中でも人の心配か」
耕平はベッドの中でそんなふうに思えて、少しおかしくなった。
そんな時だった。寝室のベージュのカーテンのむこうで電話が鳴った。病院からで、もうすぐ産まれそうだという。予定日にはまだ半月もあったが、初産ではこういうこともままあるのだという。
母子の健康は問題はないでしょうと言うが、何だが看護婦の声は自信なげに耕平には聞こえた。
さっきの夢で見た葉子の表情が、少し心配そうで暗い目をしていたのが気になった。
白磁〔小説 葉子の恋 8〕 [葉子の恋〔小説〕]
葉子の恋(7)司法 [葉子の恋〔小説〕]
吉祥寺の女子大に通うようになって3年半、二宮葉子のいちばん好きな散歩時間だった。
白いボートが捨てられたように池で揺れている。紅葉の終わり、木々の葉はもう少ししかない生命を惜しんで朝日に光っている。さくさくと歩いていると日だまりがあって、立ち止まると息が白い。コートを着た人もいる。乾いた空気に、人々が夏の興奮から醒める。
庄内の雪と寒さの中で育った葉子は、東京のこういう季節がいちばん好きだった。
葉子の恋(6)星空 [葉子の恋〔小説〕]
その冬、耕平は何度も白瀬葉子とランボーで会った。
冬が過ぎ、ロシア教会の庭の淡い新緑が、春の訪れを告げるころになると、耕平には葉子といる時間がとても貴重なものになった。
葉子は耕平の知らない東京を知っていた。耕平とはちがう世界を生きていた。
神田の町、ビアホール、喫茶店、大学、下宿の三畳間、麻雀、これが耕平の世界のすべてだった。
葉子は、画廊や美術館について話した。古い呉服屋の厳しい規律ある生活や厳格だが優しい叔父と叔母、洗練された趣味をもった従姉妹たち、銀座資生堂での食事、和光や三越での買い物、日本橋界隈のにぎわいなど、彼女が話すことは耕平には映画の世界のようだった。
葉子の恋(5)ランボーでの再会 [葉子の恋〔小説〕]
守る、というのは耕平の気持ちである。葉子にもかすかに伝わっていたはずの、耕平の秘めた気持ちであった。
少年兵になった2年間、耕平は葉子から遠くにいた。兵隊に行く前に、耕平は心の中で葉子への気持ちに訣別したつもりだった。まさか生きてふたたび故郷の、葉子の前に帰ることができると思っていたわけではないし、葉子と自分が「身分ちがい」であることも子供ながらに理解していたからである。
ただ、できることなら戦死する前にもう一度だけでも葉子に会いたい、と耕平は思った。
葉子の恋(4)連翹 [葉子の恋〔小説〕]
二宮葉子はこの空と湾の景色が好きだった。
「もう七回忌なのね」
母が墓に線香の支度をしながらつぶやいた。
「お父様はここの眺めがお好きでしたね」
葉子は母にそう答えながら、父のお骨を満州からここに運んできた日のことを思い出していた。
あれから何年かして戦争が終わり、母と二人の慎ましい暮らしが続いている。この何年かでどんなに世間が変わったことだろう。この春、女学校も卒業した。
葉子の恋(3)没落の家 [葉子の恋〔小説〕]
白瀬葉子は、小学校を出るころには人から見られることに慣れっこになっていた。
それは否応なしの、没落地主の家族としての自覚であった。
敗戦後、幣原内閣の農地改革に激しく抵抗した議会も、GHQの農民解放指令によって妥協せざるを得なくなった。その後のイギリス政府案は保守派の目算以上
に厳しいものとなって、自作農創設特別措置法案および農地調整法改正案が成立し、旧地主層にとっては壊滅的なものとなった。
白瀬の家もその例外ではなかったのである。
葉子の恋(2)二つの宴・後編 [葉子の恋〔小説〕]
白瀬家で葉子が生まれた、ちょうど同じころ、白瀬の家から遠く離れた中国大陸の奉天(現在の遼寧省瀋陽)の北、柳条湖にも夜のとばりが降りていた。
その夜の闇の隅に、南満州鉄道の線路脇に日本軍が息を潜めて隠れていた。遠くシベリアから冷たい冬の風が、彼らの頭上を砂漠のほうに抜けていった。
「さあ、一ヶ月の宴会の始まりだ」
部隊前方で二宮國昭中尉がつぶやいた。
葉子の恋(1)二つの宴・前編 [葉子の恋〔小説〕]
残暑の厳しいある九月の遅い午後である。関東平野の太平洋沿いにあるY村では、だだ広い平野に西日が照りつけていた。
Y村の中でいちばん大きな建物は、周囲の田畑を睥睨するようにそびえ立っている庄屋屋敷である。
江戸後期に建てられた木造三階建のその屋敷内には、使用人だけでも20名は下らない人間が住んでいた。
海側には神社のような防風林が屋敷を守り、敷地内には馬舎、牛舎があり、大きな門の内側には使用人の宿舎が建っていた。
風もなく、遮るもののない西日だけが、くっきりとその家に影をつけていた。
門から続く手入れの行き届いた日本庭園庭のまん中にはヘチマの形をした池があって、ときおり大きな鯉が池の水面から跳ねては庭師たちの目を奪った。
「どうだ、もういいかげんに生まれたか」