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10年後の日本の会社と働き方 [経営学〔組織と戦略〕]

10年後の日本の会社と働き方


今二十歳の人たちが三〇歳になる頃、彼ら・彼女らはどのようなキャリアライフをおくっているのだろうか。変わらないと言われてきた「日本型経営」が、このところ大きく曲がり始めている。報道された事実をつなぎ合わせて、10年後の予測をしてみよう。

1990年代から揺らいできた制度がついに変わる。日本を代表する企業、トヨタ自動車と三菱UFJ銀行が変わることは「日本型雇用システム」に止めを刺すことを意味する。

   

(続き)


半世紀もの間、年功(生活給)による「平等な」賃金制度が、日本の会社員とその家族の生活を支えてきた。能力や成果に関係なく一律に基本給を底上げするベースアップ(ベア)は、会社という共同体の「家族の一員」であるというメンバーシップ型雇用システムになくてはならないものだった。そのための補完的制度がメンバーを真っ新な状態で共同体に迎え入れる「新卒一括採用」(学生側からすれば「就活」)であり、迎え入れた分だけ退出していただくことになる「定年一括解雇」であった。

昨年からトヨタ自動車は、「脱一律ベア」を表明。この路線変更にトヨタ労組も声を揃えた。日経新聞2019年12月26日の記事によれば、トヨタ自動車は今後、ベアに用いてきた賃上げの原資を個人別に評価に応じて配分する制度に変更する。その対象となるのは、ホワイトカラー(トヨタ用語では「事務職」)と製造現場の「技能職」の全6万9千人の従業員である。

労組が、組合員の賃金格差を是認する変更を提案した。これは「異例」(日経新聞)だが、その背後には、業界全体を巻き込む電気自動車(EV)への転換がある。「一律はフェアではない」(豊田章男社長)という経営者からの投げかけに、労組が応えた。これは危機感の共有が背景にある。

経団連の中西宏明会長は、トヨタ労組の脱一律ベアの提案を「ごく自然な考え方だ」(2019年12月26日のコメント)として評価した。「社長100人アンケート」によれば、年功型賃金を「一部見直すべきだ」(45.1%)、「抜本的に見直すべきだ」(27.1%)、を合わせると72.2%が日本型経営の賃金制度を問題視している(日経新聞電子版2019年12月26日)。

金融業界では、三井住友銀行が昨年春、人事制度の見直しを表明、「伝統的な年功序列」からの脱却を示唆、2020年1月から「最短8年目で管理職への登用」(従来は最短10年だった)を可能にし、50歳代の給与水準を引き上げて(6割水準から8割水準へ)、定年を60歳から65歳に伸ばす(日経新聞、2019年4月16日)。

そして今回、三菱UFJ銀行は、2020年2月10日の日経新聞によれば、トヨタ自動車と同様に「脱一律ベア」を表明した。評価は個別の成果主義で行い、賃金とボーナスに格差をつける。これで製造業の要を担うトヨタ自動車が日本型経営に打ち込んだ楔を、金融業では三菱がとどめを刺した形となった。EV人材、AI人材、フィンテック人材それぞれの業務でメンバーシップ型からジョブ型への転換が始まった。

日本企業は、始めるのは遅いがいったん始まると転換は速い。米国企業はトップの一声で組織が動き出すが、日本企業ではトップが声を上げるのは調整が終わってからである。トップに恥をかかせないように、スタート前に組織内で足並みを揃えて調整が済んでいるのが日本の優良企業である。

さてここで心配なのは文科省というか、大学側の対応である。水面下で調整をしておいて最後にトップが変更を表明して制度を変える、そういう経験をしてこなかった教育機関は、アジャイルで緻密なものづくりの企業の変革スピードについていけるのだろうか。 

もともと、経済と教育のシステムは呼応して歴史的に作られてきた。アメリカ企業にはアメリカ的な教育制度が呼応して形成され、日本企業には日本的なものが作られた。これを組織経済学では制度補完性と呼ぶ。製品イノベーション志向の企業とプロセス・イノベーション志向の企業では、それを補完する人的資源に求める内容は異なる。

社会システム論でいえば、慶應義塾大学の小熊英二教授が書いているように、それぞれの教育体系は「日本は企業志向、アメリカは市場志向、ドイツは資格志向」と分類できる。

「日本においては、企業志向の教育のあり方が、大学院進学率が伸びない学歴抑制効果をはじめ、独特の『学歴』の社会的機能をもたらしてきた。日本における学校の機能は、企業外の訓練機関ではなく、企業内訓練に応えられる潜在能力を持つ者を選抜することに特化したからである。」(小熊英二『日本社会のしくみ』講談社現代新書、2019年、p.562)

今、目の前で起こっていることは、教育が応え、依存してきた企業そのものが急速に別の方向に転換しつつあるという現実である。10年後、この曲がり角を越えたとき、いくつの大学がまだ立っていられるだろうか。しかしまちがいなくいくつかの卓越した大学は自らを変え、新しい教育に成功しているはずである。それは今のようなゼネラリスト志向の教育ではなく、米国型、ドイツ型のスペシャリスト志向に変わっている。

今まで学生は「君はどの大学を卒業したの? その学部の偏差値はいくつ?」と問われた。10年後の学生は、「君は何ができるの? どんな資格を持っているの?」と聞かれるだろう。その答えによって年収が大きく変わる。今でさえ、AI人材は高額であることは知られている。10年後は「初任給」も「新卒一括採用」もなくなっているから、給与は自分のスキルによって決まる。

おそらく専門資格のグローバル基準が普及して、学生は自分のスペック(時価)をグローバル基準によって示すようになっている。日本の大学の価値がそれだけ下がるから、海外の大学を卒業した人材が予想以上に増えている。4年間海外にいるわけではなく、必要単位の何割かを日本にいてオンデマンドで取得しているだろう。

職場の公用語は英語(それぞれのお国なまりの英語)。第二外国語は中国語になっている。KPOPや韓流ドラマは下火になり、香港や中国本土のエンターテイメントがインターネットを席巻している。高校生は中国版アイドルに夢中になっていて、ドラマや流行歌の中国語を理解している。スタジオやドラマの撮影場所は、ハリウッドだ。今でも中国資本はたくさん流入している。

そして10年後、三〇歳になった人たちはジレンマのあるキャリアライフをおくっている。この世代は、変わる前の日本企業が求めていた教育(潜在能力、コミュニケーション能力、協調性、ゼネラリスト、企業特殊的スキル)を受けた最後の世代であり、変わった後の日本企業が必要とする教育を自分で補填する最初の世代になる。だからアメリカとは別の理由から、日本でもMBA大学院が盛んになっているだろう。

こうした方向転換が、日本社会に幸福をもたらすのかどうか、定年は70歳まで公式に延長されているか、完全に廃止されていて、年金は頼りない。日本人の寿命ではなく健康寿命は75歳くらいだ。ぎりぎりまで成果を要求されて働くことになるのだろうか。「かつて正社員という気楽な雇用者がいたんだってね」と笑う声が聞こえてきそうだ。

(補論)成果主義への組織改革はやむを得ないと認めながら、MaaS ( Mobility as a Service )、AI、EV、GAFA、などの「黒船」来襲に対応する今の方向性はほんとうに正しいだろうかというささやかな疑問もある。それは次回。


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