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パリの誘惑 [旅行]

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Paris 凱旋門の屋上からみる夕暮れのシャンゼリゼ

パリの誘惑


パリに留学したら、僕のような意志の弱い人はきっと勉強しないだろうと、前回、書いた。
パリには大きな誘惑があるからだ。ここでは、具体的に3つの誘惑について書こう。
 
  • 誘惑1 街並み
 
夕暮れの美しさはパリが世界1だろう。上の写真は夜7時すぎなのだが、9月のサマータイム。シャンゼリゼを走る車の列に赤いブレーキランプが灯り始める。
 
シャンゼリゼのような目抜き通りは、特定の政治的意図があって作られる。現在のパリは、19世紀後半の第2帝政下に、ルイ・ナポレオンが県知事 のジョルジュ・オスマンに命じて作らせた。ルイはナポレオンの甥にあたる出自を利用して皇帝になった。メキシコで負け、それを挽回すべくプロシアと闘って 敗れ、捕虜になった、叔父さんほどは能力はなかった皇帝だ。

ルイは叔父さんの人気を利用した。ボナ パルトのナポレオンが凱旋するために建てた凱旋門を、新しいパリ建設にも中心の1つにおかせた。凱旋門はボナパルトのような国家的英雄が凱旋を演出するた めのものだった。だからナポレオンが死んだときも棺は凱旋門を通った。そのとき凱旋門は黒い布で覆われた。
 
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近代国家という装置は、「国民」というフィクションを必要とする。民族、宗教、言語もバラバラな人たちが「自由、平等、博愛」という理念のもとに「フランス人」というフィクションの意識をもつ必要がある。
 
そ のためには演出が必要なのだ。まさに国家でなければなしえないような壮大な、芸術的演出が。それは都市建設の目的でもあった。だからパリは、芸術的に美し くなければならなかった。第2帝政下の「オスマン化」されたパリは、それまでシテ島にあった貧民窟やパリを覆っていた迷路のような路地が一掃され、直線的 な道路(それはパリ市民のバリケードを防ぎ、帝政の軍隊が速やかにパリを制するためのものでもあった)にかわった。(パリが法律で都市景観を徹底的に維持 しているもう一つの理由は観光ビジネスのためだが)
 
フランス人とか日本人という国民意識がフィクション であることは、後期近代の僕たちには理解しにくい。それは「地球人」とか「アジア人」というレベルの意識がフィクションであることを考えてみてほしい。近 代国家の成立期には国民意識もそういう感じだったのだろう。演出と教育なしに育成されるものではない。
 
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フィクションとしての国民を創出するために、近代以前は宗教が大きな役割を担った。近代以降、その役割は教育にしだいに移っていったものの、今日でも、フランスやイタリアではカトリックの果たす社会的役割は絶大である。
 
写真のノートルダム教会は、観光地として行ってみることもいいが、宗教的な機能を長期にわたって果たしてきたカトリックがどのような芸術的壮大さと美しさを創造してきたかを体験するために行ってもいい。
 
ゴシックの高い天井が、俗世をこえた別の空間を演出し、パイプオルガンの通奏低音が祈る人びとの足下に流れてくる。まさに高音と低音の対位法が演出される舞台であることは、初めてここを訪れたときミサを見ていて感じた。
 
  • 誘惑2 芸術
その意味では、ほんとうのパリの芸術は、世界から収集されたルーブル美術館よりも、パリ市内に街並みや建築や橋などとして点在する。ローマと同じように、各時期の政権はパリを美しいものに作りかえるために莫大な投資を行ってきた。
 
パ リの都市計画の歴史を読むと、東京とは対照的なことに気づく。徳川が江戸を首都にしたのは、そこに政権の威信を発揮できるような伝統があったからでも、経 済的中心だったからでもない。京都や大阪から遠ざけられた政治的理由が大きかった。明治の日本人は、経路依存的に、この小運河だらけの、地盤の弱い場所 に、近代国家の首都を建設しなければならなくなった。
 
東京も都市としての美しさをもつ可能性がな かったわけではない。江戸幕府崩壊直後、第二次世界大戦直後、高度成長期初めでの三回の機会は、都市計画書によれば、それぞれの理由から政治的につぶされ た。たとえば、日本の政権政党が農村部に支持基盤を持っていたこと。都市部はむしろ野党の基盤であったため、東京にインフラ投資する意欲は少なかった。

近代日本に都市計画が法律として策定されたのは、東京の「市区改正条例」(1888、明治21年)だった。第一次世界大戦中、同様の条例が大阪や京都などにも準用された。国家による、上からの都市計画がこの国の基本的な視線だったのである。

こ の基本姿勢は、高度成長期の数次に及ぶ「全国総合開発計画」(最初は1962年の池田勇人政権)にも継承された。国家の経済成長を優先し、工業化を志向す る国家プロジェクトが「高度成長」と「住宅貧乏」をもたらしていく。町並みの美観は、結局のところ、市民生活の豊かさに支えられなければ生まれない。
 
ともあれ芸術としての、近代国家の顔としての首都の景観は、さまざまな理由から東京から奪われていった。今日では、東京がパリのように美しくなることは期待できないと思う。
 
  • 誘惑3 自由
 
 美しい都市のなかで、歩き回ること、空気を吸うこと。この快感はなにものにもかえがたい。
ここでは誰も他人の目を気にしないで生きることができる。どんな人生も自分の意のままだ。地の底に没落しようが、夢のように豊かになろうが。

豊かになった人々が集まる場所もパリには用意されている。たとえばリッツやジョルジュ・サンクあるいはムーリスやクリヨンなどの名門ホテルだ。

写真はジョルジュ・サンクの中庭でのハイティー(午後3時から)を、人目を気にしながら撮影したもの。
 
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ただ日本のような大衆中間社会にどっぷりつかっていると、さすがにパリの社会的格差が気になる。日本ではこれほどの格差は感じられない。どんな場所にも中間大衆が参入することができる。つまりパリの富裕層のような特権的セレブは日本にはいない。
 
そ の日、ジョルジュ・サンクでは、中庭席の最高のテーブルを、2つのグループが我がもの顔に占めていた。 1つは、インドのビジネスマンかマハラジャか、と もかくインド人富裕層を接待するパリのセレブ家族の昼食会。もうひとつは、パリの富裕層が数人。女性3名、男性2名、それぞれ30代から50代。

共通しているのは、女性のバッグがすべて新しい「レアもの」のエルメスだったこと。あのハンドバックひとつで日本の中古車が買えるそうだ。彼女たちはそれを実に無造作に扱っていた。たぶん彼女たちは値段を知らないと思う。
 
買い物するのに値段なんか見てちゃだめね、という危険なご意見も承った。(ウーム)
 

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