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日本社会は年収200万円と年収800万円の階層に分かれるのか [ジャズ日記]

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Dave Brubeck/ Anything Goes. Composed by Cole Porter. Piano, D. Brubeck. Sax[Alto], P. Desmond. 1965.

2014年12月25日(木)
前回に続いて最近聴いているアルバムから、今日みたいな冬の日にぴったりの一曲をご紹介したい。コール・ポーターと
いう作曲家については、エラ・フィッツジェラルドの「The Cole Porter
Songbook」(1956)のあまりの美しさを思い出す方もいるだろう。

ここでは、「What it this thing called love?」の美しいメロディを名手ブルーベックがどのように自家薬籠中のものにしているかが聞きもの。ジャズの「白人化」とでも言おうか。

 

もともと、ジャズはアフリカ系アメリカ人のものだ。僕の好きな『相倉久人ジャズ著作大全』にも人種問題はよく取り上げられている。ビリー・ホリディーの曾祖母の時代、1930年代のアメリカ南部、どんな世界に黒人たちが暮らしていたか。それを想像することは、今日の日本社会に生きている僕たちにはとうてい難しい。暴力と無秩序の世界。しかしそれは過去の話だと僕は考えていた。

ところが最近、無抵抗な黒人青年が白人警察官に射殺されたり、喘息持ちの黒人青年が白人警察官に絞め殺されたりという事件があいついで、大規模なデモが行われるという事態に発展した。アメリカ社会は、人種差別に関してはオバマ大統領が出てもまだこうなのかと失望させられる。

60年代の人種差別問題と21世紀の問題を混同するつもりはない。今のアメリカの問題は肌の色よりも格差の問題が根にあるからだ。ではアメリカ以外の国ではどうだろうか? たとえば日本社会では?

トマ・ピケティの『21世紀の資本論』ではないが、資本の収益率と賃金のそれが長期的に格差を続けると格差社会になるとしたら、金融リテラシーの相対的に低いか皆無の社会層は、どうしても「負け組」に組みこまれ、そこから何世代も抜け出せなくなる可能性が高い。

勤労は社会の基本だし、人生の根幹でもある。しかし被雇用者で、賃金によって富裕層になった人には会ったことがない。どこの国でも事業を興すか、投資によって富裕層が誕生する。ピケティの綿密なデータを見なくても、そんなことは実感としてわかる。

富裕層のことより心配なのは、被雇用者にも格差がついていくのではないかということだ。これからの日本では、年収800万円を中心とする賃金労働者層と、年収200万円の層に二極分解するという説がある。僕もこれはそうなる確率が高いと思っている。原因は、インターネットとグローバル化だ。

対策はある。まずはマクロ面では、政治が落ち着くこと、そして政治が経済を志向すること。(多くの場合、政治は政治を志向してしまい、経済はそのための手段に貶められ、不景気に陥るから)

ミクロな個人ベースで考えると、金融リテラシーと特技を磨くこと。組織への過度の信用をやめ、組織にしがみつかないで生きられるように自分を鍛えること、そうでないと組織の消耗品として使い捨てられる時代になったから。


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