経営学と社会学 [経営学〔組織と戦略〕]
Paul Desmond Featuring Jim Hall/ Glad to Be Unhappy. 1963.
経営学と社会学
2014年12月21日(日)
ポール・デズモンドで有名なのは「Take Five」。今回ご紹介するアルバムは、ジャズギターのジム・ホールをフィーチャーしている佳作だと思う。映画のワンシーンのようなジャケットがすべてを物語る。アルバムタイトルそのままの雰囲気だ。
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ところで「経営学と社会学」を橋渡しするのが自分の仕事だと、長いこと思ってきた。このごろ、それは無理なのではないかと、要するに仕事に行き詰まってきたようだ。
経営学は、「企業」の目線から研究することが前提になる。企業の実践に役立ってなんぼのものだ。それに対して社会学は、「社会」の側からの目線が前提となる。(両方とも、そうではない研究者もいることは重々承知している、あくまでも原則でありトレンドとしての話だ)
問題は「社会」とは何なのかということだろう。ここで「社会」=「企業」と置き換えてしまったら、社会学のプリンシプルとしての意義はなくなる。また「社会」=「経済(マクロ)」と見ると、これまた社会学の意義はなくなってしまうから、社会学は「企業(ミクロ経済)」でも「マクロ経済」でもない何者かであることになる。
ブログで理論的な話を長々とするつもりはないので、簡単な例をあげる。マクロ経済統計の代表指標GDPを考えてみよう。この指標には、たとえば家事労働という重要な変数が含まれていない。どれくらい付加価値をもたらすか数値に換算できないからだ。しかし家事労働が一国の経済活動を支えていることも確かなのだ。こういうシャドウワークの部分を、たとえば社会学は射程範囲に入れる。そういう重要性がある。
社会を成りたたせている価値観の問題も社会学の射程範囲だ。経営学や経済学では、計量分析が主流なので価値観の問題は「文化」として片付けてしまいがちだが、実際には、それが選挙を動かし、職場に影響をあたえ、マクロにみても経済を動かす原動力になる。マックス・ウェーバーの古典『プロテスタンティズムの倫理と資本
主義の精神』を一度でも読んだことがある人なら、そのことを感動をもって知っているだろう。
しかし実際には、経営学と社会学はだんだん乖離するようになった。経営学が成功事例を取り扱う傾向があるのに対し、社会学は失敗事例にフォーカスし、企業のマネジメントに批判的な分析をすることが多い。さらにいえば、社会学は、ジャーナリズム的なところがあって「社会」の事件=問題部分に焦点をあてて、ジャーナリズムよりも原理原則的な分析をする癖がある。そこに社会学の「社会的」意義もあるのだが、経営学の目線とはますます乖離していくばかりだ。同じ企業を扱っても、まったく別の顔を描く二人の画家のようだ。
学問の客観性とは何か。デズモンドとジム・ホールを聴きながら、あらためてそんなことを想う。
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