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For Sale 多角化企業モデルとしてのビートルズ [ジャズ日記]

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The Beatles. For Sale/ 1964.

2012年2月29日(水)

1960年代、芸能プロダクション主導で作られたグループを除いて、若者たちが自然発生的に作ったロックグループは起業家精神に満ちあふれていた。その成功率はおどろくほど低かったはずだが、ビートルだけは別格だった。

ビートルズのロックバンド市場における競争優位はどこにあったか。もちろん音楽という本業の才能が優れていたわけだが、ここではそれ以外の変数を考えている。ベンチャーの群からすっと突き抜けることができた別の理由だ。

諸説あるなかで,僕がもっともだと思うのは,全員が主役だったという説だ。

 

ローリングストーンズをみてもわかるように,ビートルズ以外のグループでは,
【主役:ミックとキース(ボーカルとリードギター)+その他のメンバー(交替要員)】
というグループ構成でできている。

その点ビートルズだけは,人気と実力ではもちろん中心の2人がいるが,ビジネスとしては4人とも全面に売り出されている。名作「For Sale」(1964)のアルバムジャケットをみれば,一目瞭然だと思う。上の写真は4人ともしっかり主役の風格をそなえている。ビートルズに脇役なしというわけだ。 

誰が書いているのか失念したが,作曲も演奏も下手だったジョージ・ハリスンをどのアルバムでも1曲は載せて,ジョージを根気よく育てたのがビートルズだったといわれている。その結果,「Abby Road」(1969)のあの「Something」という名作が生まれたという。「Yellow Submarine」(1969)のリンゴ・スターもそうだ。ジョン&ポール+その他,という普通の組織構成だったら,けっして彼らは「ビートルズ」にはなれなかっただろう。

これは多角化企業の競争優位そのものにつながる話だろう。たとえば伝統ある黒字部門の主役が2つあって,その他の脇役事業部。こういう多角化企業はたくさんある。そういう組織では,みんな主役の顔色をうかがっていて,面従腹背。その他の部門は脇役であることの悲哀をグチで紛らわしている。

「どうせおれたちは社長になれないさ,エリートじゃないさ,ろくな研究開発費や販促費をもらえないさ,がんばったって認めてもらえないんだからな。」

ある日,経営環境が変わって,主役部門に陰りが見えてくるとどうなるか。
主役はプライドが邪魔して画期的な戦略がとれない。「わが社はX部門で生きてきた会社ですぞ!」なんていうセリフが会議で効果を持ったりする。

脇役は優秀な若手がごろごろいる。彼らには斬新なアイデアがあっても,主役に対する気兼ねがあり,社内の発言力も低いため,そのアイデアは採用されない。どれだけ多くの名門会社がこういうふうにつぶれていったことか。

ローリングストーンズの「社内不和」は,プールで溺死したブライアン・ジョーンズ(享年27歳)の事件を思い起こさせるように,グループにとってはろくな結果をもたらさない。ビートルズでさえ実際の活動は10年なかったという。すぐれた組織ほどメンバーの個性と能力が光っているから,時間とともにメンバーの個性がぶつかりあうのは自然の成り行きだ。

多くの失敗した多角化企業にとって,「社運をかけた新規事業」とは晩年のビートルズの「ヨーコ・オノ」のように「新規」であり「社運」がかかっている。その採用は,「ヨーコのバラード」のように激しいパッションと切ない結果をもたらすことが多い。平凡なコードでできたアドリブの習作。誰もこの曲をビートルズの代表曲とは思わないだろう。伝統ある多角化企業において新規事業が成功する確率は,組織論の観点からみても,高くはない。


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