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グローバル資本主義の本質を議論すべき [ジャズ日記]

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Work song/ Nat Adderley. 1960. Riverside. Wes Montgomery (g)

2009年7月18日(土)
ナット・アダレイの代表作。Work songが有名。僕の推薦は
3曲目 I've got a crush on you
7曲目 My heart stood still
8曲目 Violets for your furs
ナットのコルネットとトランペットももちろんだが、特筆すべきはギターだろう。ウエスのコードが哀しいほど美しくてならない。

このところ自分の身体が健康をとりもどしつつある。
一年前、身体がだめになって痛感したのは、いっしょに頭脳も機能しなくなるということだった。身の回り半径1メートルのことしか考えられなくなったのだ。
・朝、どうやってベッドから起き上がろうか(腰痛がひどいので)
・階段をどうやって降りようか、あまりにも急勾配だ(膝と足首が炎症できかないから)
・(炎症の指にお箸が重くて)どうやってソーメンを食べようか
そんな半径1メートルの思考で何ヶ月間も過ごした。
そこには思考やノウハウ(ソーメンの食べ方、膝の負担を軽減する階段の降り方)だけがあって、事象の本質に関する思想は存在しなかった。
思想を担うには、身体はあまりにもボロボロで、その応急処置で精一杯だったからだ。

今の資本主義システムもこれと同じだ。
半径1メートルの思考とノウハウばかりあって、自分の利益や企業の利益をどうやってリスクヘッジするか、そんなシュリンクした頭脳になっている。

今、むしろ必要なのは、システムでいえば資本主義を本質的に考える議論、つまり思想だろう。個人でいえば、生とは何かを根本的に考える思想だ。

思想なしに思考・ノウハウばかりが生まれては消える。現状があまりにも痛いから、この痛みから逃れるためにとりあえず目の前の処方に手を出す。一時的に効くけれど、事象の本質とは関係ない「痛み止め」だから、当然ながらすぐに効果は薄れていく。だから、すぐに新しい処方箋を必要とする。こうして次から次へと新しい理論が生産されては消耗品として消費されていく。
これではまるで、やけどと整形手術の痛みから麻酔薬で逃れていたマイケル・ジャクソンではないか。

僕はもっと根源的な議論にたち返る時期だと思う。それは古典と呼ばれていて、誰もが知っているつもりになっているが、実はステレオタイプの知識しかないあの世界に戻るという意味だ。現代の混迷を脱するには、遠回りのようでもそれしか道がない。

村上春樹の「卵とシステム」のように、事象に対する自分のスタンスを確立するためにも、古典からグローバル資本主義の本質を語る必要がある。村上春樹は、システムの国によばれて卵の立場を表明した。小説家、詩人、学者がシステムの立場に立つことは本質的な矛盾がある。

半径1メートルの思考とノウハウに時間と労力を費やすのはそろそろやめにしよう。ずっと遠いところ、深いところを思想することで、僕たちは遠くから帰ってくる。自分を、世界を発見する。遠い道はそれしかない道でもある。
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