Blue Note Plays Sinatra [ジャズ日記]
Blue Note Plays Sinatra.
2009年3月19日(木)
5月の陽気。合宿で山に行っていたから、この気候と花粉はよけいにこたえる。
ブルーノートのプレイヤーがシナトラを演奏した名演版を聴いていると、それぞれ個性が立っていることに気づかされる。Verve から出ているオスカー・ピーターソンのシナトラ・トリビュートもいいが、ブルーノートのこのアルバムもいい。
オスカー・ピーターソンは、シナトラの大ファンだと自分で書いている。ブルーノートのプレイヤーたちも多かれ少なかれシナトラ世代なのだろうが、それにしては解釈に個性がある。「シナトラのやりかたもいいけど、自分ならこう演奏するね」という解釈ばかりだ。
シナトラという教科書どおりのコピー演奏はみじんも感じられない。 日本人なら、こんなふうにやってしまうと失礼に当たるかな、と遠慮が邪魔してしまうだろう。ジャズに限らず、クラシックでも、他の芸術でも研究でも、こんなに個性を出すことは「日本的遠慮」が許さないかもしれない。
しかし個性を押し殺すことはブルーノートでは美徳ではないのだろう。いや、どんなレーベルでも、どんな分野でも自分を明確に表現しきることなしに一流にはなれないのだ。ほんとに「異文化」を感じる。グローバル化とはこういう異文化に対して生き抜くことなのだ。決してなまやさしいことではない。
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