MBA、このAmericanなもの... [経営学〔組織と戦略〕]
MBA, このAmericanなもの...
最近、ようやく椅子に座り続けていられるようになって、後期の講義ノートを準備し始めた。社会人大学院生のコースと、学部の基礎コースに優先順位を高くしてしまうのは毎年のこと。MBAの英語のテキストを参照して、さて今年はどこまでやるかと楽しい時間だ。
それにしても、MBAとは何というアメリカ文化にマッチした教育制度、コースだろうか。グローバリゼーションのなか、日本でもMBAが流行しているが、ううん、ちょっとどうなんだろうか、正直思うところがないでもない。MBA批判といえばミンツバーグが思い浮かぶが、僕が「?」と思うのは、彼の文脈とはちがう。
ミンツバーグ教授は、MBAで教わる、静態的な、経営計画至上主義をまっこうから批判する。現実の経営とはもっと多様で、計画にはのらない場合がほとんどで、創発的に戦略を立てて、柔軟な組織をデザインしないといかんのだという。教科書至上主義、経営手法のマニュアル化といった「アメリカン」な方法に反対しているのだ。彼の批判は、いわば経営はファーストフードや大量生産みたいなわけにはいかんぞ、という経験主義による。
ミンツバーグから引用する:
「最近15年間の経営教育の改革はきわめて有用であったものの、経営教育を左脳の神殿と化してしまった...私が要求しているのは、分析力と直感力を人間の頭脳が持ちうる最良のバランスにすること...」(ミンツバーグ『ミンツバーグ経営論』ダイヤモンド社、2007、p.85)
僕はミンツバーグをテキストに使ったりするほど彼に肯定的だが、ここで書きたいのは、別の意味で、MBAはアメリカンだということだ。ミンツバーグは、MBAのマネージャー教育は「中間階層の計画者」を育てるもので、左脳的で、所与の状況には合理的に対応できるが、長期的、右脳的なトップ経営者を育成できないと言っている。
しかし、そもそもMBAというのはそういう中間層、参謀層を育成するためのものではないかと僕は思う。産業の士官学校は、階級のない大衆社会、アメリカで、いざというときに軍隊を指揮できる士官(中間層)を育成するための制度だ。大将クラスを士官学校から直接的に出そうとはプログラムされていない。
MBAも同じで、ここを出たからといって、いきなり会社のトップになれるとは、大学側も期待していないはずだ。中間層が実地の中で鍛えられて、経験を積み、それに耐えていけた者だけがトップ経営者になれる。これはむしろあたりまえだ。だからこそMBAでは、中間層に必要な分析ツールを主として身につける。高度な経営判断は、そのさらに先に、上にあるものだ。
アメリカ社会とは、大衆社会であり、民主社会だ。中間層を育成して、彼らを競争下において、その競争から会社を担うトップを育てるという考え方なのだ。ヨーロッパのように、先に階級があり、「やつらとわれら them and us」という状況から、経営者教育を始める国とは抜本的にちがう。
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