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葉子の恋(7)司法 [葉子の恋〔小説〕]

 晩秋のある日、井の頭公園は夏のにぎわいを忘れたような静かな朝をむかえていた。
 吉祥寺の女子大に通うようになって3年半、二宮葉子のいちばん好きな散歩時間だった。
 白いボートが捨てられたように池で揺れている。紅葉の終わり、木々の葉はもう少ししかない生命を惜しんで朝日に光っている。さくさくと歩いていると日だまりがあって、立ち止まると息が白い。コートを着た人もいる。乾いた空気に、人々が夏の興奮から醒める。
 庄内の雪と寒さの中で育った葉子は、東京のこういう季節がいちばん好きだった。

 葉子は女子大学に通うようになっても、下宿と大学を歩いて通学するほか、どこに行くわけでもなく、山形の家にいるころと同じような生活をしていた。田舎の女子高生だったころと違うのは、今は分厚い法律書を何冊も黒い大きな鞄につめて通学していることだ。

 

  「女が司法試験? そりゃやめとけ」
 山形の親戚には同じことをさんざん言われたものの、そんなことで志望を変える葉子ではなかった。「法学部でもあるまいし」と女子大の学友に笑われても、大学間の司法試験サークルに入って、東大や一橋の法学部の学生たちといっしょに勉強を続けてきた。

 小学生のころからからかわれるほどの長身で、すらりと伸びた葉子のスタイルは、たとえ地味な、着たきり雀の服装と大きな黒い鞄でも男子学生の目をひかずにはいなかった。
 葉子の肌は、母親も驚くほど白くきめ細やかだった。二宮家の女の慣習として、葉子も風呂から上がるときに肩から水をかける。母がかけた水は葉子の身体を玉になってころがって落ちた。少し近くから葉子をみた男子学生なら、その陶器のような美しさに驚くのだった。
 小学校に入り、父が戦死するまで、父から時折、剣道を習った。息が上がってくると、葉子の顔から首にかけて肌がまっ赤に変わった。父はそれをみて、ゆでだこだな、と笑っていた。

 父が亡くなり、その悲しみを振り払うように葉子は勉強に集中し始めた。
 大学も周囲が許せば実学系の学部に進みたかったが、娘一人を上京させて大学に入れることだけでも当時としては親戚や近所から口やかましく言われたものなのに、工学部や法学部などといっても始まらなかった。
  葉子は女子大の人文学部に進み、ひそかに実学(葉子にとって法学は社会科学の技術学なのだ)に熱中した。
 葉子には目の前の現世で役に立たないことは何も価 値を見いだせなかった。そして、現実を変える技術を身につけることに至福の喜びを感じたのだった、武道がそうであったように。

 大学に入ってから勉強しかしない葉子だったが、通学途中や散歩の途中に急に見知らぬ学生服の男子学生から手紙を渡されることがあった。
 女子高生のころは、田舎だけにさすがにそんな経験はなかったので、最初はぼうぜんと立ち止まってしまった葉子だったが、1年生も終わり頃になって慣れてくると、葉子はその学生を追いかけて、ペコリと頭を下げながら、手紙を返すことができるようになった。

  こまったのは下宿の大家が宝塚ファンで、葉子を宝塚に入れたいと言い出したときだが、自分は検事になると言って断った。おばさんはがっかりした様子だったが、そのケンジとうまくやっていけなくなったら、遠慮はいらないよ、私に相談しなさいと言った。

 司法試験サークルでは、この3年半、何人もの男たちが彼女に特別な感情をいだいた。そのうち何人かは手紙を書き、何人かは直接、葉子に気持ちを伝える者もいた。どれも結果は同じだった。
 葉子は美しい娘だったが、まだ女としての感性はなかった。あるいは封印していた。女子 校出身だから男に対する警戒感があったし、地方出身のせいで東京の平板な言葉をしゃべる男がきざに思えたのかもしれない。

 葉子には、もし自分が男を愛するなら、その男を一生涯愛するだろうという確信があった。その男は、無骨で、包容力があり、それでいて女が油断するとどこかに飛んでいってしまうような男だろうと思っていた。
 葉子の父の無骨さをどう言えばいいのだろう。ある部分の感受性がきっぱりと欠如していた男だった。40まで生きなかった軍人なので、熟年になり、平和な世の中になっていたら、どうなったかわからないが、少なくとも30代の父はそういう精神の人間だった。

  軍人らしく、世界は敵と味方で構成されていると思っていた。だから味方の中では、隠し事はいっさいしなかったし、家族にもそれを許さなかった。その潔癖主義は残酷なまでに貫かれた。こうして葉子は、自分がある晩、中国の鉄道に捨てられた赤ん坊だったことを聞かされたのである。

 その事実は隠してはならないことで、
「葉子、お前は今話した事実を受け入れなさい。運命愛という思想をいつかお前も知るときがくるだろう。それは残酷なようだが、運命とは自分に都合の良いばかりのものではないのだ。そのかわり、この運命はお父様もお母様もお前といっしょに受け入れる」
 と幼いころ正座をした父から宣告されたときは、葉子の精神も崩れ落ちそうになったが、最後の言葉で葉子は救われた。

 そのときのことを思うと、葉子は、まだ精神的に立ち直っていないのかもしれないと思うほど涙が出てくるのだった。しかし自分が父と母の実子ではないことが何だというのか、という開き直りも葉子にはあった。父ではないが、
「おまえは日本人の子供だろうと思うが、中国人か韓国人なのかもしれない。なにしろ、お前は背も高くて器量がいいからな」
 と笑い飛ばすほか生きる術はないではないか。

 葉子の涙が止まらなくなるのは、自分の運命のせいではない。父が宣告したように、家族で葉子の運命を受け入れてくれたことだった。
 母には子がなかった。葉子以上に愛してしまいたくないと、母は自分の子供をもたなかったのだと思う。きっと父もそういう母の気持ちを受け入れてくれたのだろう。そういう人たちに親としてめぐり会えたこと以上のことは葉子には望むべくもなかった。

 自分は社会を変える側の人生をおくる、いつのころからか、葉子はそう決意していた。
 亡くなった父と、けなげに自分への愛に生きてくれた母に、自分なりにできることを恩返しをするということの裏返しであった。
 こうして二宮葉子は法律の勉強に励んだ。


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