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日本企業の戦略的無方向感:シャープを考える [経営学〔組織と戦略〕]

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(写真)スイス,チューリッヒ,2015年晩夏

2016年1月5日(火曜日)

謹賀新年。
昨年はあるテーマに専念して勉強した。去年の正月よりも「進歩」した実感がある。たいした進歩でもないだろうが,昨年まで意味がわからなかった情報がわかるようになったのは嬉しいし,そもそも以前ならその情報には気がつきもしなかったはずだ。今は,その出来事や数字がおもしろくてしかたがない。人生,得した気分である。

 

経営学はどうしても企業の内部に関心を持つから,ミクロな視点に視野が制限される。経済学はマクロな時系列データに関心を持つから,視野は広い。景気,失業率,金利などの政策と市場が交差するところにマクロ経済学の焦点はある。

ダイナミック・ケイパビリティ理論では言われていることだが,今日のたとえばハイテク関連企業が,内部資源と能力だけで持続的な競争優位を維持できるわけがない。どうしてもマクロな分析が必要になる。

結局,マクロを勉強して見えてきたことがある。ポーターのようにエントリーする環境を選択しようとしても,とてもではないがそんな選択などできなかった企業はたくさんあるし,マクロにみれば,1つの産業が成立するかどうかすらたくさんの運命のような偶然に依存することが多い。またバーニーのように内部の模倣困難な競争資源を活用しようとしても,そんな資源をちょうどタイミングよく発見し,育成し,活用することはまさに奇跡的な偶然性に依存していることが多い。つまり,ティースのように説明変数がマクロとミクロの双方に関連していくから,経営戦略論のフォーカスは効かなくなる。

誰かが深刻な病気にかかったとき,経営戦略論なら外部要因,内部要因,ありとあらゆる説明変数を網羅せずにはいられないだろう。その結果,フォーカスは効かなくなるのだ。1つのわかりやすい会社の例を書くと,毎日,ニュースで取り上げられているシャープの凋落はいったい誰の責任なのか明確にはわからないということだ。

1968年にRCAの研究所が発表したLCD技術を,当のRCAが見捨てたのに対し,はるかに小規模な当時のシャープが拾い上げ,花を咲かせた。そこには外部環境からの追い風があり,シャープの内部にある模倣困難性をもったイノベーション育成のための制度(緊急プロジェクト,緊プロがその典型)があった。当時のシャープの資本金105億円たらずのときにそのために75億円もの尋常でない投資もした。

そういう思いきった設備投資はシャープの成功物語において一度や二度ではない。先見の明をもつ役員がそのつどチャンスを認知して,社内を動かして,エンジニアや営業部門をその気にさせた。そして銀行を説得して身の丈に合わない「非常識な」投資を実現した。そして結果としてそういう投資から利益が回収された。

そういう大博打が結果として成功すれば,「リスクをとった」と評価された。シャープの成功ストーリーは,言葉は悪いが大博打とその奇跡的成功の歴史でもある。すぐれたリーダーにもそのつど恵まれた。実際,ある時期の技術的なイノベーションはシャープの選択の後をついてきたようにも見える。町田社長(当時)が1998年に「2005年までにブラウン管テレビをすべて液晶に置き換える」と宣言したとき,社内の人間も含めて,いったい誰がこの宣言が実現すると信じただろうか。

「選択と集中」はシャープのためにあるような戦略だった。社内一貫生産の徹底した「垂直統合」戦略も,テレビになって始まったような歴史の浅いものではない。カシオとの電卓戦争のときには始まっていたこの会社のDNAのようなものだ。ものづくりがデジタル化して台湾にEMSが興隆しても,この組織のDNAを変えられなかった。それは「成功の罠」とか「破壊的イノベーション」などという浅いレベルのものではないのだろうと,資料を読み続けてきた私には思えてならない。2000年代半ばまでにシャープは三重と亀山の4つの工場に,約8千億円もの液晶パネル事業に投資した。そして2008年3月期には過去最高の業績(売上高,3.4兆円,純利益,1千億円)を達成した。ここがピークだったのかもしれない。

近年のシャープの凋落をどう説明するのか。32インチテレビ用液晶パネルの価格が2004年から2011年までに,865ドルから145ドルまで予想もしない急落があったからなのか。つまり韓国や台湾の競合会社のせいなのか? それとも2009年秋稼働の堺第2工場の4千億円が「余分な投資」だったのか? 外部要因のリーマンショックのせいか? 後からなら何とでも言えるが,今までシャープが成功のパターンにしてきた「選択と集中」と大規模投資そして巧妙な段階的回収のパターンが,液晶ビジネスに限ってはプツンと途切れてしまったことは確かだ。成功の好循環がなぜ途切れたのか,誰が切ったのか,内部要因にも外部要因にもあまりにも説明変数が多すぎて誰にも正解がフォーカスできないと思う。経済誌には観測記事や,中傷にも近い悪者探しが掲載されているが,はっきり言って何の役にも立たない思考停止記事だ。

結局,企業の成功と失敗は,偶然に左右されるマクロ&ミクロ要因に依存する。いつ為替レートが急変するかは誰にもわからないし,いつ優れたリーダーが現れるのかも「神のみぞ知る」からだ。ソニーの出井元会長は有機ELテレビの可能性を知っていたが,それに投資したタイミングは外部環境とフィットしなかった。早すぎたのだ。ソニーが開発をやめてしばらくたった今,アップルは有機ELを求めて日本企業から韓国企業にサプライヤーをシフトしようとしているらしい。リーダーは先が読めなければ話にならないが,先が読めるだけでは競争優位を作り出せない。

同じことはマクロ経済にも言える。昭和30年から始まる日本の高度経済成長のストーリーは,バブル崩壊と1990年代後半の金融危機から始まる「失われた20年」のストーリーの裏返しに過ぎない。この2つの「光と影」を知っている日本企業は,今,方向性を見失っているように見える。需要側,供給側の多くの要因が高度成長を結果としてもたらした。そして同じように景気低迷をもたらしただけだ。政治が悪いのか,日銀が悪かったのか,経営者か銀行か,株式市場の不透明さか,ともかく「光」は裏返るとすべて「影」になるだけなのだ。

考えてみてほしい,「終身雇用」とプロセス・イノベーション能力は制度的に補完性がある。1つの要因だけ「アメリカ化」することはその補完性を崩し,全体としての意味をなさなくなるだけだ。

安倍政権から「利益を内部留保ではなく設備投資と賃上げにまわせ」とハッパをかけられても,こんな円安や金融緩和の効果など短期的にしか通用しないことを,実は日本の経営者は痛いほど知っているのだと思う。だけれども円安効果を利用しないわけにはいかないし,外国人株主の要求(配当,ROE)を無視するわけにもいかないから,消極的に自社株買い(ROEは上がる)や配当性向を上げる方便をとっている。でもアメリカの経営者とちがってストックオプションで驚くような報酬を得るわけではないから,日本の経営者が本気で株価を上げるインセンティブがあるはずもない。こうして方向感のない,漂うような日本企業の無戦略とともに「アベノミクス景気」が終わろうとしている。

どんな景気でも,どの国でも,景気は始まれば,必ず終わりがある。日本経済が「失われた20年」を終わらせるチャンスは私たちが思っているよりも短いのかもしれない。


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