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Cole Poterを歌うフィッツジェラルド [ジャズ日記]

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Cole Poter Song Book/ Ella Fitzgerald. Verve 1957.

2009年2月28日(土)
フィッツジェラルドの「コール・ポーター・ソングブック」を聴いている。
コール・ポーター(1891-1964)は二度の伝記映画で有名になった作曲家だ。実際のポーターの人生が映画ほどハッピーだったとは思えない。彼の美しいバラードはすべて妻リンダに捧げた曲だったというような批評にでくわすたびに、僕は複雑な気持ちになる。むしろ陰影に満ちた彼の曲が、ポーターの人生そのものだったように思えてしまう。

1891年に富豪の家系(母 Kate Cole の父親)に生まれ、イェール大学をでて、ハーバード・ロースクールに進んだ大衆音楽家は彼くらいのものだろう。リンダとの愛情に満ちた結婚生活は映画にもなった。映画はかなりロマンチックなストーリーに仕立て上げている。『ナイト・アンド・デイ』(1946)のゲーリー・クーパーはよかったし、『五線譜のラブレター』(2005)は感動的な大作ではある。

しかし大金持ちの坊ちゃんが私生活も順風満帆で、大学時代にすでに300曲も作る才能にあふれてもいて、あれだけ陰影のある曲が作れるだろうか。いや、そんな「陰」の部分をもつ必然性があるだろうか。

ポーターの陰の部分、音楽の切ない部分はどこからくるのだろう。エラ・フィッツジェラルドの美しい声がその陰の部分を正確に表現してみせるのだが。

常識的な推論ではあるけれど、一つは彼のプレッシャーだったのかもしれない。祖父のジェイムズ・コールは一代で財をなしたやり手の商売人だった。映画にもあるように、彼は頭のよい孫を法律家にしようとする。それは結局、孫の天性と合わないと悟るのだが、孫の側からすれば偉い祖父の方向ちがいの期待は重くないはずはなかったろう。その期待を裏切らざるを得ない自分の存在も気楽なものではなかったと思う。

もう一つは、どこまで重視すべきかわからないとアメリカの批評家は書いているが、ポーターがホモ・セクシュアルであったことだ。どこまで重視すべきか、などと書くのは現代のアメリカ人の感覚で、当時のアメリカ人、しかも「ハイ・ソサエティ」の人間にはこれこそ決定的な陰の部分だったはずだ。

コールの美しいバラードがすべてリンダに捧げられた、というのもある意味で正しいと思う。コールの直接的で激しい愛はおそらく別の人間にむけられた、リンダはそういうコールを許し、理解していた。だから間接的に、コールはリンダを必要としたし、ある意味で愛してもいた。つまり、そういう自分の孤独とプレッシャーを理解してくれた女性だからだ。こういう陰影が彼の音楽に反映されているといったら言い過ぎだろうか。彼のバラードには、フィッツジェラルドが表現しているような孤独と距離感がたくさんふくまれている。

コール・ポーターに捧げるアルバムは他にもあるが、フィッツジェラルドの2枚(Cole Porter Song Book, vol.1, vol.2)が、その美声と、とびぬけた歌唱力はもちろん、いちばん説得力がある名盤だ。


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