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夏目漱石とGlenn Gould

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ドイツに留学して2年目になって、生活や勉強に慣れたころ、僕はどこに行くにも岩波文庫の夏目漱石を持ち歩いた。 理由はわからない。たぶん精神的孤独を、漱石の孤独によって癒されたのだと思う。

英文学者の漱石はニーチェも英訳で読んだ。そんな漱石にしてはめずらしくドイツ語の引用がでてくる作品が『行人』 (1912- 1913)だ。この小説を朝日新聞に連載中に、漱石は胃潰瘍に倒れて、一度、中断している。

ドイツ語のウムラウトを入れて引用する:Keine Brücke fürt von Mensch zu Mensch.

意味は(人間と人間を結ぶ橋はない、どんな橋も人間と人間を結ばない)という感じだ。漱石は「人から人へ掛け渡す橋はない」(岩波文庫版、p.357)と美しく訳している。 当時47歳の漱石が、「病者の光学」で近代化しつつある日本社会をみたとき、どんなつもりでこれを書いたのかと思う。

 

留学していた当時、僕は『道草』こそ漱石だと確信していたが、あとになって『明暗』の奥行きがわかるようになった。『行人』は漱石らしいと今は思う。 

ドイツでは留学生でしか会えないような様々な階層の人たちと会った。世界中から来た留学生たちと国際留学センターに住んでいたし、人から人への人脈でブンデスリーガのサッカー選手、医者、ポーランドの元女優、韓国の元海軍将校、ドイツの高級官僚たちのパーティにも行った。

ドイツの知識人はカントとゲーテが大好きで、ちゃんと読んでいないとパーティやランチでの彼らの会話についていけないことも知った。そして、ついてこない人にどれだけ冷たい目線をあびせるかも体験した。ヨーロッパの上流階級というか、知識階級は、いくつかの言語ができ、芸術に詳しく、じつによく世界を旅行していた。だから、自分にかなりの投資ができる階級でないと、彼らの会話やジョークについていくことは不可能なのだ。

パーティやランチミーティングでは、専門の話はマナー違反となっている。あるドイツ人がこっそり言うには、それは「アメリカ人と日本人だけに許される特権だよ」。医者も金融ブローカーも法務省の高級官僚も物理学の大学教授も、彼らは専門の話をしなかった。芸術、旅行、哲学、文学などをネタにハイブラウなジョークを交わすのだ。

考えてみれば、日本語でも高級な会話はしていなかったのだ。外国語で高級な語彙を使おうとしても、できるはずもなかった。自国語の文化のレベルが、そのままその人の外国語の語彙のレベルになる。高級なドイツ語のレッスンで、僕は一生分の恥をかいた。恥をかくことが怖くなくなるほど。

救いだったのは僕の好きな夏目漱石や何人かの日本の芸術家たちに、彼らが関心と知識があったことだ。たとえば「グレン・グールドが晩年、ベッドテーブルに漱石の『道草』を置いていたこと、知ってるだろ?」と始めると、彼らのアテンションが集まった。注意を喚起できない人間は、テーブルに置いてある灰皿と同じだ。漱石の橋の文章は、日本人でもそんな奴がいたのか、という彼らの率直な反応をよびおこした。

彼らの意外そうな反応は率直でもあった。口には出さないが、「へえ、日本人にも集団からデタッチメントされたほんとうの個人がいたのか、西欧的な意味での孤独を知っていたのか、ほんとうかな?」という表情である。創作期間ほとんど10年間であれだけの孤独を表現した漱石、演奏家にとって最大の収入源であり名声を維持する場でもあるコンサートをプツンとやめて、スタジオにこもったグールド、今、流行しているのも理由があるのだろう。


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