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バフェットの投資哲学 [マネー]

職業としての投資
 

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写真:2011年11月、福島の企業に投資するため福島を訪問(The Guardianより)

バフェット Warren Buffett (1930- ) は現在の『フォーブス400』で第2位の資産家だ。世界第1位、ビル・ゲイツが720億ドル、バフェットは585億ドルの個人資産を持つ。
ちなみにアマゾンのベゾスが第12位(272億ドル)、グーグルのラリー・ペイジが第13位(249億ドル)、サーゲイ・ブリンが第14位(244億ドル)となっている。*
  * www.forbes.com/forbes-400/list/

  • バフェットについて多くの記事が書かれていて、それが誤解を生んだ。金の亡者、資本主義の権化(悪い意味の)、90年代のドットコム・バブルにはいっさい手を出さなかったから、時代錯誤の老人投資家などの誤解もある。リーマンショックで暴落した金融業に投資したから、無謀な老人投資家とも言われた。

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そんな陰口とはうらはらに、バフェットの伝記『スノーボール』から伝わるのは、「金の亡者」とか「時代錯誤の投資家」というのとは別の投資家像である。マックス・ウェーバーの言葉を借りれば「職業としての投資」というのが彼の本質だと思う。

かつてピーター・ドラッカーは「事業」と「投資=投機」を峻別した。ドラッカーいわく、利益の極大化を追求するというのは「投資家」のすることで、「事業家」は社会に対して「正当化」された事業を行う。

ドラッカーの分類を借りれば、バフェットは事業として投資をする。投資家という職業に対するコミットメントはまさにウェーバーが言った「職業としての」投資家だ。

ドラッカー流に言えば、すべての事業家が「正当な」ビジネスを行っているわけではないし、時流に乗り遅れたビジネスに固執して近い将来に倒産する者もいる。
バフェット流の投資家は、事業家を選別するという社会的役割を果たしている。株価によって、市場=社会にどの事業家が将来性があり、誰が危険なのかというシグナルを発信しているのだ。

たとえば原発事故によって売られすぎた会社の株式を買いに来ることは、合理的な投資判断であり、そこには優秀な企業がその妥当な価格より下がったときに果敢に買うという「職業としての投資」の精神がみられる。利益は奢侈に使わず、次の合理的な投資に使う。だからこそ親の資産を受け継いだわけでもない個人投資家があそこまで到達できた。

バフェット略歴

1929年、世界大恐慌。バフェットの投資哲学や生き方を理解するためには世界大恐慌が長く影響をおよぼす環境で育ち、ビジネスを始めたという事実は重要。
1930年
、バフェットは1930年(昭和5年)ネブラスカ州のオマハで生まれた。6歳で「ビジネス」を体験し、7歳の時、サンタクロースに『債権販売術』という大著をお願いした。11歳で株式を購入し、13歳で所得税を申告した。
1939年、9歳の時、『世界年鑑』を読みふけり、世界の人口100万人以上の都市を諳んじた。
1941年、11歳、複利の効果に気づき、35歳までに百万長者になると友人宅で宣言。

  • 高校時代のバフェットがお金を貯めるために新聞配達をしたことには、2つの意義があったと思う。1つは配達だけでなく熱心に政治経済、投資蘭などを読みあさったから、「ノンストップ学習マシーン」の習慣を身につけた。もう1つは、たくさんの配達先を駆け回って長く生きるための足腰の強靱な肉体を手に入れた。

1947年、17歳でペンシルベニア大学ウォートン校に入学。
教科書を授業が始まる前に読み終えたバフェットは「知っていることばかりでたいくつした」。バフェットはたいていの教科書を暗記していて、授業中、教科書を見ずにページや引用を当てたり、教授の引用まちがいを指摘して自慢げだったという。クラスの4分の1が落第するような名門大学で、バフェットはキャンパスライフを楽しんでいた。

  • ウォートン校を「退屈して」中退し、1950年、20歳でニューヨークに出てコロンビア大学大学院に進学、尊敬していたベン・グレアム教授の講義をとる。大学院の講義は、グレアム教授と最年少の受講生だったバフェットとの対話に終始した。他の大学院生は彼らの対話に入り込めず「デュエット」によって授業が進んだ。

デビッド・トッドの講義「ファイナンス111・112」を履修。バフェットは授業のテキスト『証券分析』(1934)を文字驚くほど暗記していたから、トッド教授が授業で質問すると、バフェットが誰よりも早く手を挙げて、場合によっては、手を振って教授の注意を喚起して発言した。トッド教授は早熟のバフェットを暖かく迎えてくれ、家族に紹介し、食事に招待した。

1951年、21歳で大学院MBAをとったバフェットは、グレアムの投資会社に就職を希望するが断られた。彼はオマハに帰り、父親の証券会社で働きながら自分の投資哲学と技量を磨いていった。面接の時に、グレアムがバフェットに言った言葉が時代を考えさせられる。

  • 「いいかねウォーレン。ウォール街では、上流階級の投資銀行はいまだにユダヤ人を雇わない。・・・だから(私は)ユダヤ人だけを雇っている。」*1

1965年、35歳のとき、バフェットは繊維工場バークシャー・ハザウェイの経営権を買収、直接経営に乗り出す。

  • このときのマネジメントとしての苦労は、彼を単なる投資家から、どういえばいいか、数字だけでなく企業の組織そのものや実体経済を直視する稀な投資家に変えた、と僕は思う。その後、バークシャー・ハザウェイとともに名実ともにバフェットの投資人生は成長する。

1979年、49歳、バフェットは『フォーブス400長者番付』に初登場した。
1985年、55歳、バークシャーの繊維部門を閉鎖し、投資会社にした。翌年、『フォーブス400』の長者番付ベスト10に初めて入った。

1991年、61歳、ソロモン・ブラザースの経営危機に際して、暫定会長に就任。

  • 月給1ドルと公言。他の経営陣が分厚いステーキの昼食をとっているときも、バフェットだけはいつものようにサンドイッチとコーラだけの質素な生活を崩さなかった。(コカ・コーラ社の大株主でもあったが、その前から質素な生活を続けていた)

2006年、76歳、資産の85パーセントを慈善団体に寄付すると発表。
2008年、78歳、『フォーブス400』の長者番付で1位となる。資産6兆2000億円。
2011年、81歳、「バフェットルール」を提唱。これは富裕層に対する課税を増すことで、最近オバマ大統領も関心を示した。
2012年、82歳、前立腺ガンであることを公表。バフェット自身は淡々として、あいかわらず年俸1000万円で父親の机を使い続けながら、質素にバークシャーの経営を続けている。

バフェットから何を学ぶか
バフェットの伝記『スノーボール』を読む価値は、世界でもっとも成功した投資家の投資術を学ぶことにはない。ウォーレン・バフェットという1人の投資家が、どのように生きて、どんなふうに考えて、判断を下したかを知ることにある。それは僕らとはまったく異次元の生き方、哲学である。決して読みやすい本ではないが、ここから学べない人は少なくとも投資に関するビジネスだけは避けたほうがいいと思う。

  • バフェットの祖先は、宗教的な迫害を逃れてアメリカに渡ってきたフランスのユグノーだ。ユグノーというのは、フランスの新教徒、カルバン派で、世俗内的禁欲、二重予定説の教理をもっている。『スノーボール』の著者がバフェット家には身内に対するケチの伝統があると記述するとき、読者が思い出さねばならないのはユグノーの合理的な生活倫理だ。

新教徒は「内なる光」という概念で生活を律した。たとえ全世界が反対しようとも、自分が信ずる道に迷いなく進むことだ。それは親や子供も「全世界」に含まれる。究極的な個人主義が「内なる光」の信念であり、バフェットの伝記作家はこれを「内なるスコアボード」と表現した。
   *「内なる光」や新教徒の個人主義についてはマックス・ウェーバーの著作を参照

マーケットは気まぐれで、短期的には「投票計」だとバフェットは言う。ブームによって人気化した株は、実力(内在価値)以上の高値に急騰する場合がままある、要するに需給関係が株価の短期的価格を決める。

しかし長期的には、そういうブームは必ず冷めて、もともとの内在価値に落ち着く。こういう冷めた見方から、バフェットは「株価が下げるのはいつでも楽しい」と思っているし、5分足という超短期の価値で利ザヤを求めるデイトレーダーはまちがっていると考えている。彼の得意なジョークに「大学に寄付してデイトレーダー養成講座を作ろう」というのがある。要するに「お客様」だという指摘だ。

  • 全世界がまちがったとき、内在価値より暴落して、誰も株の話などしないときこそ、バフェットにとっての買い場なのだ。だからバフェットは時代遅れと非難されても1990年代のインターネットブームに手を出さなかったし、リーマンショックで暴落した金融株を買い占めた。こういう発想がバフェット流の投資なのだ。

僕らにはこういう投資ができない。「内なる光」ではなく外部の雰囲気(人気、相場のムード、外部の情報)に判断がぶれてしまうからだ。もう1つは、内なる感情、たとえば恐怖感に判断にバイアスがかかってしまうからだ。「内なる光」は合理的な絶対君主でなければならない。誰が何といおうと自分の判断を信じることができるか、そしてなによりも自分自身の感情に打ち勝つことができるかが鍵となる。近年、行動経済学もそれを教えている。

バフェットは反権威主義でもある。権威とは外部の影響力のことだからだ。外の人が自分をどう言おうと、どう扱おうと、「内なる光」にしたがって個人主義の孤独を生き抜くことは、他人に偉そうにふるまう権威主義者とは正反対の生き方だ。バフェットはお金持ちになっても、質素な生活を貫いている。子供に遺産を残したり、銅像を建てたり、家族史に自分を記憶させようともしない。資産の85パーセントは寄付する世界一の資産家なのである。バフェットの生き方に「資本主義」のもっとも良質な部分をみるのは僕だけだろうか。

彼の哲学は投資をこえている。僕らはつい「外部」ばかり気にして判断している。「内なる光」を持つこと、そしてそれをつねに高品質に維持するために、バフェットのような猛烈な「学習」を続けることが、インターネットに情報があふれている時代に生きる僕たちには必要だ。自分の人生哲学を研ぎ澄まし、実行することが大切であり、その成果の1つがバフェットにとっては富の蓄積にすぎない。富自体が目的の人間は富から見はなされるものだ。

 注

  •    *1 アリス・シュローダー『スノーボール』伏見訳、日経ビジネス人文庫、上、p.277。
  • いわゆるバフェット流銘柄探しなる本は山ほどあるが、その著者たちは誰もたいした成功はしていないようだ。本質=哲学、生き方を学ばずに、ノウハウだけを模倣し、上がる銘柄探しをしているうちはバフェットにはなれない。

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